ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第503話 番外編:NDC考察(その4)

今回は、NDC第2作以降の実車の話題です。

由利高原鉄道YR-1000形で現実化されたNDCですが、まだ確定版とは言えませんでした。続く第2作目も迷走状態ですが、ようやく馴染みがある形態の登場です。

 

1.南阿蘇鉄道MT-2000形カタログの抜粋

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NDC第2弾は、はるか九州に飛んで、南阿蘇鉄道MT-2000形として3両が納入されました。この南阿蘇鉄道は、元国鉄高森線を1986年に第三セクター化して誕生した路線です。 2016年に発生した熊本地震に被災し甚大な被害を受けて、現在は全線の60%に当たる立野~中松間が不通となっており、令和5年度の全線復旧に向けて邁進中です。

 

2.南阿蘇鉄道MT-2000形カタログの抜粋

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このMT-2000形は、ようやく新潟鐵工NDCのPRパンフレットに記載された形式図の外観に近い前面1枚窓の非貫通形態になりましたが、車体長が16m級にやや大型化され、なぜか台車はDT22タイプ、ドアはバス用の折り戸となり、さすがに冷房付きですが、自重は約25.5tにまで軽量化され、一見、同時期に製造された富士重工のボギー式LE-Carの様なスタイルとなりました。いよいよ新潟鐵工もバス用部品を多様化して低廉化を進めることになりますが、逆に富士重工は、2軸のレールバスでは輸送力が足りず、ボギー車に移行する実態となり、いつしかレールバスであったLE-Carは、大型化されてLE-DCとなり、NDCとLE-DCの差異がなくなって行きます。

 そして、その後はこのタイプのNDCが基本となり、各地に増えて行き、1987年には会津鉄道錦川鉄道若桜鉄道にNDCが導入されました。ところが、ここでまた地域性によるバリエーションが現れました。

 

3.錦川鉄道NT-2101

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錦川鉄道は、山口県の元国鉄岩日線を第三セクター化して誕生した路線で、開業時に5両のNDCを導入しました。実はこのNDCの元請けは地元の日立製作所でした。しかし、新幹線車両の製造で忙しい日立製作所は、ローカル線の気動車など造っている場合ではなかったのか、餅は餅屋の新潟鐵工に話しを振りました。そして導入されたのは、南阿蘇鉄道MT-2000形ベースの車両でしたが、台車は2軸駆動の空気ばね台車NP-120となり、これで16m級NDCの標準化が図られました。

しかし、同時期に製造された会津鉄道向けのNDCは、16m級でありながら、地域性を重視した設計となりました。それは雪と勾配に強い車両です。由利高原鉄道YR-1000形導入時の要望に似た話ですが、さすがに由利高原鉄道と同じ車両とはならず、南阿蘇鉄道MT-2000形の構体を活かした新たなバージョンとなりました。台車は錦川鉄道NT-2000形と同じ2軸駆動の空気ばね台車NP-120ですが、この台車は会津鉄道用に新規設計されたもので、これをNDCの標準台車として錦川鉄道NT-2000形にも採用したのが実態です。

 

4.会津鉄道AT-100,150,200形カタログの抜粋

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 会津鉄道は、元国鉄会津線第三セクター化して誕生した路線です。路線も60km近くあり比較的長距離路線で、終点の会津高原では新規開業した野岩鉄道とも接続されることから、開業にあわせて3種類のNDCが12両導入されました。3種類と言っても、基本的な構成は標準化されており、AT-100とAT-150の違いはトイレの有無だけ、AT-200は前面非貫通の片運車でイベント車兼用です。

 

5.会津鉄道AT-100,150,200形カタログの抜粋

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会津鉄道向けのNDCにより、寒冷地用NDCのバージョンが確立されたものと思われます。これをベースに、JR北海道キハ130や池北高原鉄道CR-70,75形に展開されます。

そして、NDCの新たなバージョンとして2連の片運車であるAT-200形が登場しました。この車両の登場は赤字転換された第3セクターであっても、優等列車の需要があった証しでした。しかし、優等列車用と言ってもAT-200形は低廉化車両であり、安っぽさは否めません。やがて、三セク向けの優等列車用に多少ゴージャスな車両がNDCのラインナップに登場しますが、AT-200形はその黎明期の位置づけです。

ところで、今から30数年前にNDCの設計関係者から、興味深い図面を見せてもらった記憶があります。それは三陸鉄道36形と思われる車両の片運車2連の形式図で、計画に終わった検討図の様でしたが、構成的には会津鉄道AT-200形の素案になったものと思われます。今となっては片運の三陸鉄道36形などあり得ない車両ですが、模型なら幻の車両として再現できそうです。

 

 そして、若桜鉄道ですが、ここで18m級の大型NDCが初登場します。

 

6.若桜鉄道WT-2501

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若桜鉄道は、鳥取県の元国鉄若桜線を1987年10月に第三セクター化した路線で、18m級のNDCが4両導入されました。やはり、ローカル線と言えどもある程度の輸送力が必要と言うことです。

若桜鉄道WT-2500形の製造を機に、NDCは大型車に戻っていくように思えました。そしてこの前面デザインは現在の気動車の代表的な顔になりましたが、国鉄の三島対策で製造された気動車の顔です。この顔を第三セクター向けに採用したNDCは若桜鉄道WT-2500形が第一号でした。

 

7.若桜鉄道WT-2501の車内

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WT-2501の車内はセミクロスシートです。18m車ともなれば座席数も多く、一般の鉄道車両と変わりませんが、天井の換気ファンとカモイの冷房ダクトがNDCを印象付けます。

 

8.若桜鉄道WT-2500形

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 これ以降、NDCは車両長18m級と16m級が主流となります。白装束のNDCたちは全国に旅立ち、華やかな時期を迎えます。

第502話 番外編:NDC考察(その3)

今回は、新潟鐵工の第三セクター向け気動車の第2弾となった神岡鉄道向けKM-100形、KM-150形と、第3弾となった由利高原向けYR-1000形の話題です。

 

1.新潟鐵工NDCのPRパンフレット抜粋

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 このパースは、新潟鐵工NDCのPRパンフレットに掲載されていたものです。外観デザインは当時製造された神岡鉄道向けのKM-100形、KM-150形のようですが、この気動車はNDCモドキでした。

 

2.神岡鉄道KM-100形、KM-150形カタログ抜粋

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 神岡鉄道は、国鉄神岡線1984年に第三セクター化して開業した路線です。国内2番目の赤字転換路線でしたが、開業に当たり、わずかに2両の気動車が新潟鐵工に発注されました。

 

3.神岡鉄道KM-100形、KM-150形カタログ抜粋

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タイミング的には、三陸鉄道の開業後で、新潟鐵工としてもNDCを模索していた頃ですが、たった2両のために思い切った設計変更は行わずに、手堅く三陸鉄道の仕様をベースにしたのは賢明だったと思われます。しかも、そうとう低廉化を要求されたのか、エンジンを除く主要機器や台車は国鉄キハ20系の中古品の流用でした。なんだか、関東鉄道のキハ310形以来のしみったれた発想が、こんなケースで根付いてしまったとは、メーカーにしてみれば儲けにならない商売です。

 

4.神岡鉄道KM-100形、KM-150形カタログ抜粋

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 しかしながら、話題性のある第三セクターをどう盛り上げるのか。メーカーの腕の見せ所も変わってきました。

どうせお客が乗らない列車なので、車内にカラオケと囲炉裏でも載せてしまえ!との、鶴の一声があったのかどうか?この車両あたりから、大衆向けイベント車両がはやり始めたような気がします。

 

5.神岡鉄道KM-100形、KM-150形カタログ抜粋

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 ところで、神岡鉄道は残念ながら主力であった濃硫酸輸送が2004年に廃止された以降は悲惨な経営状況となり、2006年12月1日に廃止されました。

 神岡鉄道KM-100形、KM-150形の足跡は、その後増殖する第三セクター化路線向けのNDCにイベント車というオプションを定着させたことにあると思います。

 

続いて、由利高原鉄道です。

由利高原鉄道は、国鉄矢島線を1985年に第三セクター化して開業した路線ですが、この頃になると、各地に同様な赤字転換路線が増殖し始め、当時新潟鐵工のコンペチターであった富士重工の新型レールバス(LE-Car)があちこちに登場します。あせる新潟鐵工もいよいよNDCを実用化するため、初のNDC基本仕様となる15m級の軽快気動車由利高原鉄道向けに4両納入しました。

 

6.由利高原鉄道YR-1000形カタログ抜粋

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 このYR-1000形は、ほぼ新潟鐵工NDCのPRパンフレットに記載された諸元の車両ですが、貫通タイプとなり、エンジンも横型機関の6H13ASが採用されました。そして、中古機器を採用しない完全新製となりましたが、台車は律儀にPRパンフレット通りの偏心台車(NP-117)だったので唖然!!。冷房は地域性のためか、けちったのか非冷房です。今回は囲炉裏もカラオケもない、真面目な車両となりましたが、この車両の採用にあたっては、この路線の特性から、特に冬場の積雪に対し、軽快な車両よりも頑丈な旧態然とした鉄道車両が欲しいという考えがあったようです。

 

7.由利高原鉄道YR-1000形カタログ抜粋

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この車両の実用化で、NDCが現実のものになりましたが、まだまだ確定的ではありませんでした。

 

8.増備車YR-1005

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ところで、YR-1000形は1988年にもう1両増備されます。その頃はNDCもバージョンアップしていましたが、この増備車は、前照灯の追加など若干のマイナーチェンジを図った程度で、在来車とほとんど同じ仕様で製造されました。しかし他社のNDCに影響を受けたのか、真面目な由利高原鉄道もカラオケ、ビデオデッキ付きのイベント仕様となりました。

号外:令和3年

明けましておめでとうございます。

昨年中は当ブログをご笑読頂きまして、誠にありがとうございました。本年も宜しくお願い致します。

さて、昨年末から自粛続きで、今年は初詣にも行かず、代わりに私の地元である飛鳥山公園の都電保存車を拝んで来ました。・・・と、いうことで、今回はその新鮮な話題を号外にてお伝えします。

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6080号が綺麗になっていました。この車両は保存というより、公園の遊戯施設と化しており、近所の子供たちにさんざんいじられて、少々可哀そうな車両です。先月リニューアル(再塗装)が完成したばかりで、見事に蘇りましたが・・・。

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せっかく綺麗になったのに、ちょっと変です。前照灯は白目を向いており、窓も曇っています。なにか魂が抜けてしまったような・・・・。せめて行き先くらいは表示して欲しかった!!

以前はこうでした。

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これは、30年前の様子です。当時は屋根もなく露天でしたが、まだ生き生きとしていました!!

まあ、現在は屋根付き展示となり、手厚く再整備もされたので贅沢は言えません。ここには、もう1台SLのD51も展示されていますが、そちらはあまり興味がないので画像はありません。

・・・で、ちょっと気になるあの車両をついでに見に行きました。

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都電「乙2」です。柵があるので、まともな写真が撮れません。

ここは、かつて都電の神明車庫だった公園です。ちなみに、この乙2は、神明車庫には縁もゆかりもない荒川線所属の車両でした。

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こちらは悲惨な状態が続いています。

 ここの町名は本駒込ですが、最寄り駅は本駒込ではなく、田端なのか駒込なのか微妙です。いずれの駅からも離れており、わかり辛い場所です。

 

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乙2の後ろには、ここにも6000形(6063)がいます。近所の悪ガキから身を守るため、頑丈な柵でガードされていますが、もうボロボロ!!一発台風でも来たら、いつ崩壊するかわからない危険物体と化していました。いまやこの柵は、逆に悪ガキたちを守る柵になっています。

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貴重な都電の貨物電車である乙2ですが、この状態です。

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嗚呼Brillが朽ちて行く・・・しかし、苔むしたBrillも乙なものです。

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年明け早々、トワイライトな光景ですが・・・。

しかし御安心下さい。ここも近々公園のリニューアルと併せて、車両たちも整備されることが決まり、今年は良い年になりそうです。

第501話 番外編:NDC考察(その2)

第500話では、NDC模索期の概要をメーカーパンフレットで辿ってみましたが、今回から実車の変遷を各車のカタログで辿ってみたいと思います。

まずは、NDCの基礎となった三陸鉄道の36形です。この車両は、それまでの国鉄制式気動車の呪縛から解き放された記念すべき民間向け気動車です。最近では、東日本大震災復興のシンボル的存在となり、NHKの連続ドラマにも登場したことから、かなりの知名度を得た車両です。

さて、三陸36形は一見、NDCではないかと思われがちですが、そうではなく、NDCのお手本となった車両で、NDCではありません。製造は三陸鉄道の開業に合わせた1983~84年製です。新潟鐵工の基本デザインですが、製造は北リアス線用が新潟鐵工、南リアス線富士重工に分担され、増備車を含めて19両が製造されました。

 

1.三陸鉄道36形車両カタログ抜粋

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 三陸36形の特徴は、何と言っても国鉄離れした外観デザインですが、基本仕様はその直近に製造された国鉄キハ37形がベースです。キハ37形知名度が低く、5両しか製造されなかったレアな車両ですが、キハ40系列の反省を踏まえて登場した試作的要素の高いローカル線向け気動車で、特に国鉄が初めて直噴式エンジンに手を出した車両でした。三陸36形では、この直噴式エンジンを早速採用したわけですが、当時の新潟鐵工のエンジン部門にしてみれば、すでに当たり前となっていた船舶用直噴式エンジンであり、決して新しいものではありませんでした。それまでは、国鉄制式気動車の呪縛で、仕方なく製造し続けていたDMH17系列の旧態エンジンから、ようやく解放されるきっかけとなりました。いわば、三陸36形は直噴式エンジンの量産採用を世に知らしめた新系列気動車の先駆け的存在であり、NDCの礎とも言えます。

 

2.三陸鉄道36形車両カタログ抜粋

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 しかし、三陸36形はそんな画期的な車両ではありますが、エンジン以外は従来の気動車から脱却できていませんでした。カタログには車体の軽量化と書かれていますが、実態は車両の小型化による軽量であり、まだまだ根本的な軽量化には踏み込めていませんし、台車はいつものDT22モドキ。非冷房で内装も国鉄の亜流。NDCの特徴であるダウンサイジングには程遠い車両でした。

 

3.三陸鉄道36形車両カタログ抜粋

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 このカタログの室内写真は、NDCのPRパンフレットにも使用されていましたが、実際に量産化されたNDCでは腰掛は国鉄タイプではなく、構体の見直しから窓が大型化されました。

 

4.三陸鉄道36形車両カタログ抜粋

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三陸36形は従来の国鉄気動車から、ローカル線向けにやや小ぶりとなり18m車になりました。車体が小さくなった分軽くなり、自重は31t程となりました。230PSのエンジンなので従来の気動車より走行性能が向上していますが、その後エンジンはどんどん出力アップされて、現在ではNDCでも300PS以上が当たり前になっています。

 

5.気動車新時代の幕開けは、三陸だった。

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さて、三陸36形は、その後の新系列気動車量産の起爆剤となりました。そして三陸鉄道自体が第三セクター化路線の第1号でもあったことから、これをモデルケースとして、三陸36形の様な新車を導入する第三セクター路線が続々と登場します。

 

第500話 番外編:NDC考察

令和2年は年の瀬を迎え、コロナ感染は一向に終息の気配が感じられませんが、おかげさまで第500話に到達しました。

今回も節目の番外編ですが、今回は昨今の高級なハイブリッドDCや電気式DCに疑問を感じ、これからの気動車がこれで良いのか?と思いつつ、今一度、ローカル線向けの気動車について考えてみたいと思います。

 こんな硬いテーマを話題にあげる理由は、ローカル線の先行きに不安を感じているからです。単なる「気動車バカ」のぼやきで終わってしまうかも知れませんが、お付き合い願います。

現在、JRも地方鉄道も、非電化路線は経営的に非常に厳しい状況です。このままの成り行き次第では、設備や車両の寿命が路線の終わりになってしまう様にも思われます。今こそローカル線存続について何が出来るのか考えねばなりません。一時期、国の補助が切れて、バタバタとローカル線が倒れて行きました。地方行政や民間だけではどうにもならない状況です。やはり国の補助が必要でしょう。

そして、経費節減です。最近は液体式DCを排除してハイブリッドDCや電気式DC化する動向にありますが、これらの車両は大変高価です。お金のないローカル線には、こんな高級車は買えない現実があります。そして、これらを導入することが果たして経費節減になるのか?

電気式DCのメリットは、電車のメンテと共通化が図れること、整備が厄介なトルコンが排除できること、液体式DCに比較して燃費が良いことなどでしょうか。しかし、電車とのメンテ共通は、JRの様に電車のメンテが主体となる事業体であれば納得できますが、気動車オンリーの路線では意味がありませんし、ハイブリッドだの電気式と言えども発電用のエンジンは存在するわけなので、エンジンのメンテは必要です。また、トルコンですが、これは気動車が減少するなかで、これ以上のモノを望んだところで、メーカーも消極的になるだけで、これ以上どうにもならないと思います。ならば、発想の転換で、液体式を機械式に戻す!。ただし、最近の大型トラックで使用される自動制御のトランスミッションを適用ることは可能と思われ、トラックメーカーと気動車メーカーのコラボが必要ですが、これが実現できれば、総括制御も可能でエンジン性能を変えることなく燃費も向上するはず。イニシャルコスト、ランニングコストともに低減が図れるのではないか。

 まだまだ気動車はすたれたものではありません。環境対策に逆行していると思われるかも知れませんが、今こそ安価な気動車の開発が望まれます。

さて、前置きが長くなりましたが、過去においても40年程前に低廉化を徹底した気動車の開発経緯がありました。それは、当時の気動車メーカーである富士重工と新潟鐵工がそれぞれ製品化した軽快気動車です。

富士重工は同社のバス製造部門とのコラボで、次世代型レールバス(LE-Car)に活路を見出しました。一方、新潟鐵工はコラボを組む相手もおらず、従来の鉄道車両ベースのダウンサイジングで我が道を歩むしかなかった様でした。しかし、同社にはエンジン部門があり、気動車用エンジンの革命とでも言うべき、直噴式エンジンが自給できた強みもあり、とてもお安い気動車を製品化しました。それがNDCです。

今回はその実例として、今は亡き、新潟鐵工が手掛けた軽快気動車(NDC)の変遷について、新潟鐵工のパンフレットを見ながら顧みたいと思います。

 

1.新潟鐵工NDCのPRパンフレット抜粋

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まずは、1984年頃のパンフレットです。これは、国鉄が見切りを付けた赤字転換路線向けに新潟鐵工が開発した低廉化気動車のPR用パンフレットの表紙です。ここでNDCという名称が出て来ます。NDCとは、Niigata Diesel Car の略。描かれた気動車が手描きのパースで時代を感じます。車体デザインも気動車らしからぬ何となく上信電鉄の1000系、6000系の流れをそのまま転用した乏しさが否めません。

 

2.新潟鐵工NDCのPRパンフレット抜粋

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 そして、このパンフレットに見たことある様なパースも描かれています。このパースは時期的に神岡鉄道向けのKM-100.150形用のデザイン案と思われます。しかし、KM-100,150形は直噴式エンジンを採用した以外は、国鉄キハ20系の中古台車や機器類を再使用した新車モドキなので、純粋なNDCとは言えません。

 

3.新潟鐵工NDCのPRパンフレット抜粋

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 パンフレットによれば、上記の4項目がNDCの特徴ですが、もう少し具体的な事例を補足すると、当時NDCの車両価格は5000万円を切る低価格でした。戦略的な価格のようにも思えますが、現在の三セク向け気動車が1億円を下らない価格になっていることと比較すれば如何に低価格であったのか驚きです。ちなみに、ハイブリッドDCや電気式DCだと、更に高額に・・・。

そして、保守費削減、動力費節約、省力化は、直噴式エンジン採用による効果です。しかし、今後エンジンにこれ以上の経済性向上は期待できないと思います。そして注目すべきは、この当時低廉化の話題に上がらなかったトルコンです。理由は当時の気動車はトルコンありきであったことと、エンジンほど汎用性がなく、変更の費用対効果が見込めなかったので、低廉化を諦めていたものと思われます。やはりこれからは、トルコンを何とかしなければ・・・。

 

4.新潟鐵工NDCのPRパンフレット抜粋

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NDCの形式図です。トイレの有無で2パターンが提案されていますが、NDCは中長距離路線を意識したクロスシートが基本でした。屋根にはクーラーが付いています。気になるのが左側の動台車ですが、まだNP-120系列ではなく、コイルバネの偏心台車です。この偏心台車は、岩手開発鉄道キハ201で実績があるNP-110の様ですが、なぜここで先祖帰りするようなことに?これも低廉化の一環なのか?それとも冗談なのか?設計陣の模索状況が目に見えますが、1985年に登場した由利高原鉄道向けYR-1000形でこの偏心台車が蘇りました。少なくとも冗談ではありませんでしたが、その後は続きませんでした。

そして、外観は初期のNDCでお馴染みの非貫通タイプですが、このパンフレットが作成された時点では、まだ実車は存在していません。この外観のNDCは1986年製の南阿蘇鉄道が最初となりますが、実車はドアが引き戸ではなく、低廉化のためなのかバス用の折り戸となり、台車はなぜかDT22でした。空気ばね台車のNP-120の採用はその次の錦川鉄道会津鉄道向けNDCからです。

 

5.新潟鐵工NDCのPRパンフレット抜粋

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パンフレットに掲載された室内写真ですが、緑色の腰掛の車両は、上信電鉄6000形でそれ以外は三陸鉄道の36形のようです。NDCもなんだかんだ低廉化を模索しているうちに、ワンマン機器をはじめ、安価なバス部品が採用されました。

 

6.新潟鐵工NDCのPRパンフレット抜粋

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車両諸元を見ると、注目は車両重量です。それまでの国鉄気動車は20m車のキハ40系など初期の非冷房車でも37t程もあり、当時最新の三陸鉄道の36形(18m車)ですら31~33tです。これが15m車のNDCでは25t程です。車両長が短くなれば、その分軽くなるのは当然ですが、一般に単位メートル当たりの重量は増えるはずです。これを単純計算で比較すると、国鉄キハ40系は1.85t/m、三陸36形は1.72~1.83t/m、NDC15m車は1.67t/mとなり、NDCの軽量化が良くわかります。

NDCは何か付け忘れているのではないかと、心配になる程の軽量化ですが、この頃は有限要素法が構体設計にも適用され始めた頃で、最適設計とダウンサイジングの結果がこの重量です。逆に言えば、国鉄キハ40系がいかに重い車両だったかと言うことです。そして、NDCは車両性能も、軽量化と過給機付き直噴式機関の採用で電車に近づいてきました。なお、このパンフレットでは、エンジンが縦型機関の6L13ASとなっています。このエンジンは国鉄キハ37が採用した初の直噴式エンジンと同じで、三陸鉄道キハ36形、神岡鉄道KM-100,150形にも採用されたものですが、次に登場する由利高原鉄道YR-1000形以降は横型機関の6H13ASとなり、これがNDCの主流となります。

NDCは、鉄道車両ベースなのに、車両価格も、重量も、バスベースである富士重工製の同クラスのLE-Carに迫る勢いでダウンサイジングが図られました。

 ところで、このパンフレットが作成された時点では、三陸鉄道36形、神岡鉄道KM-100,150形が導入された頃と思われますが、いずれも、完全なNDC仕様ではありません。ようするに三陸鉄道キハ36形、神岡鉄道KM-100,150形はNDCではないと言うことです。新潟鐵工は三陸鉄道36形、神岡鉄道-100,150形をベースにこれからNDCなるブランドを立ち上げようとしていたものと思われます。

それでは、純粋なNDCはいつから製品化されたのか?それは、1985年製の由利高原鉄道YR-1000形からです。しかし、YR-1000形もNDCの決定版とはならず、以降、南阿蘇MT-2000形、会津鉄道AT-100,150,200形へと展開して行きます。

さて、今回はここまでです。次回は実車の導入順序を追ってNDCの変遷を辿ってみたいと思います。この先ちょっと話が長くなりそうですが、この話題に興味のない方は、悪しからずごめんなさい。

第499話 1986年上田交通:丸窓たちとの別れ(その2)

いよいよ上田交通の「丸窓」も最後が近づいて来ました。

この日の午後は、いつもの田園地帯に移動して、「丸窓」たちの最後の活躍を撮影しました。

塩田平はまさに実りの秋でした。これから晩秋にかけてが上田交通の最も映える季節ですが、私にとっては、もう「丸窓」の撮影はこの日が最後です。

 

1.モハ5252+クハ292 (中塩田下之郷:1986年9月)

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モハ5252が相棒のクハ292を引いてやって来ました。このクハ292も、元を正せば東急5000系の中間車でした。元の同僚が大挙して上田にやって来ましたが、まったく接点がないまま旧型車と運命を共にしました。 

 

2.モハ5252+クハ292 (中塩田下之郷:1986年9月)

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 上田交通は、この翌月である1986年10月1日をもってDC1500Vに昇圧となりました。き電設備や車両は一晩にしてチェンジされ、「丸窓」たち旧型車は一斉に淘汰されました。

 

3.モハ5252+クハ292 (中塩田下之郷:1986年9月)

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 陽が傾いてきましたが、まだまだ残暑の塩田平でした。側窓全開で2連が走って行きました。ところで、翌月から投入される新車?も非冷房でした。上田交通に冷房車が入るのはまだ先の事で、東急7200系が導入された7年後の1993年でした。

 

4.モハ5252 (八木沢~別所温泉:1986年9月)

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モハ5252が単行になって40‰をノッチオフで軽快に下ってきました。 少し陽が影ってきたので、逆光を気にせず1カット撮れました。

 

5.モハ5252 (別所温泉~八木沢:1986年9月)

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翌月からここを元東急5000系、5200系が走るとは、イメージが湧きません 。もう撮影に来ることはないと確信していました。

 

6.モハ5371 (中野:1986年9月)

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 モハ5371も、もう見納めです。複雑な車歴の持ち主でしたが、ここまでです。この時期は運用する車両も整理されていた様で、長野電鉄からの譲受車の走行撮影はできませんでした。

 

7.モハ5252+クハ252 (八木沢~舞田:1986年9月)

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 夕刻となり、いよいよ最後の撮影です。天気も回復し、やって来たのは、何と珍しいモハ5252+クハ252のコンビでした。いままでこの組み合わせは撮影したことも見たこともありません。夕陽に上田ブルーの渋みが増し、すばらしい旧型の2連です。これは、我々に対する「丸窓」の最後のはからいではなかったかと思います。しっかりファインダーに納めて、「丸窓」たちに別れを告げました。

第498話 1986年上田交通:丸窓たちとの別れ

1986年9月の北陸地方ローカル私鉄早回りのついでに、間もなく昇圧されて新装開店する上田交通別所線に寄りました。目的は600Vの旧型車の見納めでした。

 

1.クハ5251、クハ5051 (下之郷:1986年9月)

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新設された下之郷の車庫には、1500V車がすでにスタンバイしていました。 この頃には夜中に1500Vの試運転も実施されていたようで、いよいよ600V車の終焉近しです。

ところでこの新車?ですが、言わずと知れた東急5000系と5200系です。正直、私にとっては、どーでもよい車両でしたが、この写真は、今となっては貴重な記録です。

 

2.モハ5253 (上田原:1986年9月)

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旧型車は相変わらず上田原の車庫に出入りしていました。この日はモハ5253が入庫していました。 

 

3.モハ5251 (神畑~大学前:1986年9月)

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さっそく沿線撮影に出ました 。まずは、それまであまり撮影をしていなかった神畑下之郷間に出向きましたが、この辺りは開けた場所がなく、初っ端はモハ5251をリンゴ畑の中での撮影となりました。結構リンゴが実っていましたが、写真ではほとんど目立ちません。

 

4.モハ5371 (神畑~大学前:1986年9月)

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続くモハ5371も中途半端な場所での撮影になってしまいました。 この近辺では、こんな感じで正面がちの写真しか撮れませんでした。

 

5.モハ5252+クハ292 (神畑~大学前:1986年9月)

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少し移動して、ようやく開けた場所に出ました。モハ5252がクハ292を連れて2連でやって来ました。少々手前の畑がゴチャゴチャしていますが、それ以上にバックの建物が興覚めです。

 

6.モハ5371 (大学前~下之郷:1986年9月)

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この辺りは、以前はなかった新しい建物が増えたように思われ、撮影もし辛くなっていました。沿線が賑やかになることはローカル線にとっては大変有難いことと思いますが、街も車両も新しくなってしまうと、もう出向く機会はなくなるでしょう。