ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第618話 1992年大井川:吊掛車乱舞(その3)

今回は撮影場所を少し移動して崎平周辺です。この付近の路線は蛇行する大井川をトンネルと橋梁でショートカットしますが、道路は川沿いなので移動距離がながくなり、電車での移動が無難です。

 

1.モハ311+クハ511+モハ3822+クハ2822 (崎平~千頭:1992年11月)

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 ここは大井川第三橋梁です。千頭方面はトンネルを出てすぐに鉄橋です。

 

2.モハ311+クハ511+モハ3822+クハ2822 (崎平~千頭:1992年11月)

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 架線柱の位置関係から午前中の撮影が良いですが、昼頃になると電車の正面に陽が差します。背景に絞りを合わせると電車の正面が光ってしまいました。

 

3.モハ6011+クハ6061 (崎平~千頭:1992年11月)

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 大井川第三橋梁を少し離れた茶畑から撮るとこんな感じです。大井川鉄道の秘蔵子であるアルミカーが、ピカピカに光ってやって来ました。

 

4.モハ6011+クハ6061 (崎平~千頭:1992年11月)

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 この電車は場違いなメタリック仕様なので、前面の光の反射はどうにも避けられません。眩しい写真になってしまいました。

 

5.B15+24+22、25+26+B13 (崎平:1992年11月)

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 さて、崎平には奇妙なモノが・・・。

これはかつて西武山口線で使用されていた「おとぎ列車」です。軌間762㎜のナローゲージなので大井川鉄道では走れませんが、なぜここに?

 

6.B13+26+25、22+24+B15 (崎平:1992年11月)

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 聞くところによれば、千頭川根両国間の側線を利用して遊覧列車を走らせる計画があったそうで、それで購入されたとか・・・。しかし、計画倒れに終わり、せっかく買ったおとぎ列車はこんなところに放置?

 

7.B15+24+22、25+26+B13 (千頭川根両国:1985年9月)

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実はこの車両の写真を1985年の訪問時にも撮っていました。それがこの写真です。この時は崎平ではなく、千頭の構内外れでした。1985年と言えば西武山口線新交通システムとして新装開店した年で、この「おとぎ列車」は、その前年に廃止となり、一部が大井川鉄道に引き取られたわけです。あれから7年も放置状態だったことになります。

 かつての千頭森林鉄道の線路でも残っていれば話は展開していたのかも知れませんが、なんだか野上電鉄の「自爆の設備投資」のような話しです。結局入籍もせず、ただのモニュメントになってしまいました。でも解体されずにしばらく崎平に鎮座していました。

号外:オリンピック開幕で思う57年前の日本

とうとう自粛中にオリンピックが開幕してしまいました。私はまだワクチン接種を受けておらず、自粛あるのみですが、例によって悩ましい4連休です。よって、ブログのネタ探しに、近所の実家に保管してある古い資料を物色に出かけました。

 実家へ向かう道中、隅田川の橋の上に大勢の人が密状態だったので、何事かと見ていたら、ブルーインパルスでした。

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 偶然通りかかっただけのはずでしたが、スマホでしっかり撮影しました。気が付けば、私も密の中・・・・。

 そして、実家で昔の資料を物色していたら、なんと57年前のこんなポスターが出てきました。こんなものがよく残っていたものです。

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 さて、57年前、私はまだ1歳だったので、オリンピックのことなど記憶にもありませんが、その年は東海道新幹線が開業した年でもありました。東海道新幹線首都高速もオリンピックの開幕に合わせて開業させたもので、当時のオリンピックに対する気合の入れ方が半端ではなかったと言うことです。しかし、それまでは新幹線がなかったわけで、その頃の日本の交通体系はいったいどうなっていたのか?大変興味深いです。

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 早速、57年前のオリンピック直前、すなわち東海道新幹線開業直前の交通公社時刻表復刻版を読み返しました。東海道新幹線がなかった時代の日本はどんな世の中だったのか、この57年前の時刻表から分かったことは意外な事実でした。

まず、当時の国鉄の定期特急列車ですが、なんと全国に23本しかありませんでした。その内訳は、下記の通り。

 1.第1こだま、第2こだま(電車):東京~大阪

 2.ひびき(電車):東京~大阪

 3.第1富士、第2富士(電車):東京~宇野、神戸

 4.第1つばめ、第2つばめ(電車):東京~広島、大阪

 5.はと(電車):東京~大阪

 6.おおとり(電車):東京~名古屋

 7.さくら(夜行寝台):東京~長崎

 8.みずほ(夜行寝台):東京~熊本、大分

 9.あさかぜ(夜行寝台):東京~博多

 10.はやぶさ(夜行寝台):東京~西鹿児島鹿児島本線経由)

 11.まつかぜ(気動車):京都~博多(山陰本線経由)

 12.かもめ(気動車):京都~長崎、宮崎

 13.うずしお(電車):大阪~宇野

 14.みどり(気動車):大阪~博多

 15.白鳥(気動車):大阪~青森、上野(信越線経由)

 16.つばさ(気動車):上野~秋田、盛岡

 17.ひばり(気動車):上野~仙台

 18.はつかり気動車):上野~青森(常磐線経由)

 19.とき(電車):上野~新潟

 20.おおぞら(気動車):函館~旭川、釧路

のぞみ号が3分間隔で続行する現代とは別世界です。九州、北海道、東北や日本海側はまだ非電化なので、電車特急はありません。東海道山陽本線以外は、のきなみ特急は1日1本で、四国には特急はありません。その分、急行や準急がうじゃうじゃ走っていましたが、この頃の特急は相当格が高い列車だった様で、特急の利用者は限られていた感じです。まだまだ一般人は、どこに行くにも時間がかかり、日本が広かった時代です。東京~大阪は6時間半ですが、日帰り出張はかなり厳しいと思われます。大阪は宿泊出張か、夜行出張が精一杯だったと思います。長距離普通列車や、夜行列車もボックスシートの旧型客車だった時代ですが、これらも出張には欠かせない交通手段だったと思います。ちなみに、東京~西鹿児島間(日豊本線経由)の急行高千穂号は、所要時間が29時間でした。果たして、全線乗車する人がいたのか?列車に乗ると言うことは、忍耐勝負だったようです。とにかく、移動が大変だった時代ですが、現在の様に大阪は日帰り圏内の時代となり、その分仕事量も増えました。果たしてどちらが良い時代なのか疑問に思うこの頃です。

第617話 1992年大井川:吊掛車乱舞(その2)

この当時、大井川鉄道には走らないSSE車以外にカルダン車というものがありませんでした。走れる電車は全て吊掛車です。この日は走れるすべての列車が総動員となり、「吊掛車の乱舞」と言ったところでした。

 

1.モハ1906+クハ6052+クハ6051+モハ312+クハ512 (千頭:1992年11月)

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 この元小田急電車は本日の主役です。普段は車庫に引っ込んでいますが、多客時の増結用として重宝されていました。ところで、この元小田急の後ろの2両は元小田急ではなく、元北陸鉄道です。北陸時代はカルダン車でクロスシートの「温泉ロマンスカー」としてピカイチの存在でしたが、活躍していた路線が廃止となり、大井川にやって来たものです。しかし、大井川ではモーターをもぎ取られてトレーラー化されてしまい、自走できないので元小田急のモハ1906とトリオを組むことになりました。ところが、モハ1906は3ドアロングシートのままなので、何ともアンバランスな3連です。

 

2.モハ1906+クハ6052+クハ6051+モハ312+クハ512 (崎平~千頭:1992年11月)

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 ここは、千頭に近い大井川第四橋梁です。

堂々の凸凹5連です。この日はこれを撮影に出向きました。欲を言うと中間にはさまれた元北陸鉄道出身のクハ6051が先頭に出ていれば申し分ありませんが、なかなか先頭には出て来ません。

 

3.モハ1906+クハ6052+クハ6051+モハ313+クハ513 (崎平~千頭:1992年11月)

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 続いて、先程乗って来た西武モドキの元伊豆箱根と本物の元西武の4連です。伊豆箱根から来たモハ1001+クハ2001は3ドアで一見して通勤電車風ですが、元からセミクロスシート車です。

 

4.モハ3829+クハ2829 (崎平~千頭:1992年11月)

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 午前中の行楽輸送が落ち着くと、元名鉄の2連がやってきました。

ここも大井川第四橋梁です。また4連が来るのかと思って、並行する離れた道路橋から狙っていましたが、2連だったので慌てて、ズームです。

 

5.クハ2829+モハ3829 (千頭~崎平:1992年11月)

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しかしながら、このタイプの車両もずいぶん減りました。富山地鉄にも同型車が7編成14両導入されましたが、1991年~1993年に廃車となり、大井川に残った2編成だけになってしまいます。そして、このモハ3829+クハ2829は1998年まで生き延び、元名鉄運輸省規格型電車は消滅します。

 

6.クハ2829+モハ3829 (千頭~崎平:1992年11月)

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 この鉄橋は196mもあり長いので、何枚でも連写できますが、とりあえず3カットです。

そういえば、この日はSLの運転日でした。たまにはSLも撮影してみることにしましたが、SLの話題は別途まとめてお伝えします。

第616話 1992年大井川:吊掛車乱舞

1992年11月は、3年ぶりに大井川鉄道を訪問しました。

この3年の間に井川線のアプト区間が開業し、ちょうどバブル期でもあったため、行楽シーズン中だったこの日は大変な賑わいでした。

 

1.クハ603他 (千頭:1992年11月)

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井川線ではクハ600形(注1)と言う、見かけない車両がいました。

井川線の列車はアプト対応で井川寄りの車両が制御車化されていました。この車両は新車ではなく、スロフ310やトキ200形からの改造車です。前面は機関車と同じような顔になりましたが、台車はアーチバーそのままです。

(注1)クハ600形の車歴

・大井川クハ601←大井川スロフ310←大井川スロフ3←大井川Cトキ211:1953年新三菱重工

・大井川クハ602~604:1990年日本車輌製(トキ200形から機器流用)

 

2.DD200形他 (千頭:1992年11月)

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 井川線列車の入線です。川根両国の車庫から出て来た様で、機関車重連の長大編成でした。オープンデッキのスロフ1形も健在の様です。

 

3.スロフ311+クハ602 (千頭:1992年11月)

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 この日は井川線もかき入れ時で、これからSL列車が到着すると大半の乗客は井川線に乗り換えてアプト区間へ向かいます。よって、客車は総動員状態でした。

 

4.スロフ304他 (千頭:1992年11月)

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 しかし、今回は井川線が目的ではありません。毎度の電車撮影が目的ではありますが、今回は特に行楽シーズンであることから、普段は見ることのできない、「噂の5連」の撮影が目的でした。

 

5.クハ861 (千頭:1992年11月)

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 これから、歩いて崎平方面に向かいますが、先ずは千頭の留置車両撮影です。

千頭は一時期旧型車の墓場状態でしたが、それらは一掃されてさっぱりしていましたが、相変わらず得体の知れないのがゴロゴロいました。その筆頭は元小田急のSSEでしたが、もうボロボロであまりにも悲惨な状態だったので撮影を控えました。そして、もう1両可哀そうな骸骨電車が・・・。この水玉模様のクハ861(注2)です。

ク861は、元名鉄3800形種車とした初代モハ310+クハ510のクハ510をトロッコ風のイベント車として1986年に改造したものですが、あまり使用されずに千頭の墓場に入線してしまいました。恐らくもう使用されることはない様でしたが、廃車は1999年でした。

(注2)クハ861の車歴

・大井川クハ861←大井川クハ510←名鉄ク2805:1948年日本車輌

 

6.モハ1001+クハ2001+モハ313+クハ513 (千頭:1992年11月)

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 私が金谷から乗って来た列車です。

写真のモハ1001+クハ2001(注3)は最初西武の中古車かと思っていましたが、よく見ると西武モドキの元伊豆箱根鉄道駿豆線のモハ1000形第1編成で、塗装もそのままでした。伊豆箱根時代はMTMの3連でしたが、大井川には両先頭車の2両が移籍し、MT化されました。この車両は1963年製で比較的新しい車両ですが、バリバリの吊掛車でした。

(注3)モハ1001+クハ2001の車歴

・大井川モハ1001←伊豆箱根モハ1001:1963年伊豆箱根大場工場製

・大井川クハ2001←伊豆箱根モハ1002:1963年伊豆箱根大場工場製

 

第615話 1990年JR(鶴見):黄昏の旧国!(その2)

日中は超ローカルな大川支線ですが、朝夕の通勤時間帯はクモハ12形が武蔵白石~大川間をピストン運行されました。効率よく撮影するためには、その時間帯がベストですが、平日はこちらも仕事があるので出向けません。しかし、平日程ではありませんが休日も夕方は列車本数が若干増えます。これを狙うしかありません。

 

 

1.クモハ12052 (武蔵白石~大川:1990年3月)

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 大川支線の日中の撮影はこの程度が精一杯です。とにかく工場地帯なので開けた場所がなく、日陰だらけです。

 

2.クモハ12052 (武蔵白石~大川:1990年3月)

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 唯一開けた場所の大川橋も下路ガーダーなので写真はこうなってしまいます。

 

3.クモハ12052 (武蔵白石~大川:1990年10月)

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 この年の10月にも大川支線の黄昏時を狙ってみました。しかし、10月の日没時間は早く、タッチ差で夕陽が隠れてしまいました。

 

4.クモハ12052 (武蔵白石:1990年10月)

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 夕方になると大川支線では、クモハ12形のピストン運行が始まります。写真は武蔵白石駅の大川支線専用ホームです。列車が止まっている線はピストン運行時の折返しホームで、鶴見直通時は右の線を使用しました。ところで、このホームは曲線上にあり、この時点で20m車=101系が入線できませんでした。現在は大川支線にも20m車が入線できるようになりましたが、その代償として、このホームは撤去されて大川行の列車は武蔵白石には止まらなくなりました。

 

5.クモハ12052 (武蔵白石:1990年10月)

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 前面には、武蔵白石~大川の区間運転を示すサボが付けられていました。大川までわずか1kmのためにこの車両は残されていました。

 

6.クモハ12052の車内 (武蔵白石:1990年10月)

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黄昏時のクモハ12052の車内です。白熱灯が灯る休日の大川行には、誰も乗っていませんでした。

第614話 1990年JR(鶴見):黄昏の旧国!

鶴見線クモハ12形が気になっていましたが、近くなのになかなか出向くチャンスがなく、気が付けば1年が経っていました。

 

1.101系3連 (鶴見:1990年3月)

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 この日は土曜日でした。午前中は何をしていたのか、午後から鶴見線に出向いた様です。なぜか鶴見駅で101系を撮影し、ここからスタートです。

 

2.クモハ12052 (新芝浦:1990年3月)

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 クモハ12形を先回りして、まずは海芝浦支線です。

この日の運用はクモハ12052でした。例によって陽の向きが真横です。

 

 

3.クモハ12052 (浅野~新芝浦:1990年3月)

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 海芝浦支線は、終点の海芝浦が東芝鶴見工場の敷地内にあり、東芝専用線みたいな存在です。普段は101系の3連が入線しますが、休日ダイヤの日中はクモハ12形単行の運用となりました。

 

4.クモハ12052 (浅野~新芝浦:1990年3月)

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京浜運河のこれほど近くを走るのもこの路線の特徴です。

 

5.クモハ12052 (浅野~新芝浦:1990年3月)

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 写真の右側は東芝鶴見工場です。この工場は大型の変圧器などを製造する工場で、かつては新芝浦から分岐する専用線を使用して製品輸送を行っていました。いまでも専用線は存在しますが、果たして機能しているのかわかりません。

 

6.クモハ12052 (武蔵白石~大川:1990年3月)

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 休日日中のクモハ12形は、鶴見から海芝浦と大川へ交互に運用されていました。今度は大川支線です。大川支線は、武蔵白石~大川間のわずか1km足らずの支線で、撮影場所はこの運河をまたぐ大川橋くらいしかありません。しかしこの鉄橋は下路ガーダーのため、ご覧のように列車の足回りが見えません。この鉄橋の間近で撮影するとこんな平凡な写真しか撮れませんが、実は少し離れた場所からここを撮影すると面白い写真が撮れました。

 

7.クモハ12052 (武蔵白石~大川:1990年3月)

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 それがこの写真です。この撮影場所は結構有名な様ですが、この日私は大川支線と並行する浜安善支線を探索中に偶然このロケーションに遭遇しました。ちょうど夕陽が大川橋を渡る列車に当たり、まさに「黄昏の旧国」です。その後もこの夕景に何度かチャレンジしましたが、なかなか夕陽と列車のタイミングが合いません。現在は車両が205系になりましたが、同じ様な写真は撮れると思います。

第613話 1991年江ノ島:古き佳き時代の終焉(その4)

この日は2001編成が入庫していたためか、運よく301編成が運用に出ていました。

 

1.デハ301+デハ351 (七里ヶ浜稲村ケ崎:1991年11月)

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 301編成は元都電の車体を流用した車両です。溯れば王子電軌の生き残りであり、大変貴重な存在でしたが、この車両もあと1年の運命でした。

 

2.デハ305+デハ355 (七里ヶ浜稲村ケ崎:1991年11月)

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 305編成は301編成と同じ300形一族ですが、1989年には冷房化、カルダン化され300形一族では優等生的存在でした。しかしどう見ても他の300形と同じ一族には見えませんし、実態も全く別形式の車両です。なぜ300形なのか?あえて言うならば、完全新製の様で台枠のみ京王電車の木造車の台枠流用だったので雑多な300形に包括されたのかも知れません。

 

3.デハ1000形2連+デハ1000形2連 (七里ヶ浜稲村ケ崎:1991年11月)

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 1000形の重連はそれなりに編成美ですが、吊掛車です。

残った300形がカルダン化されるなか、1000形は吊掛車のまま残りました。

 

4.デハ551+デハ501+デハ352+デハ302 (鵠沼~柳小路:1991年11月)

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 500形は501編成が1989年、502編成が1990年にカルダン化されましたが、車体構造上の理由から冷房化は見送られました。300形が整理されると、500形も先が危ぶまれました。

 

5.デハ1151+デハ1101+デハ1551+デハ1501 (鵠沼~柳小路:1991年11月)

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江ノ島以西の 江ノ電の撮影場所はなかなか良い場所がありませんが、鵠沼~柳小路間には軌道敷が拡幅された場所がありました。かつては信号所かなにかあった場所の様ですが、ここなら4連も撮影できました。

 

6.デハ351+デハ301 (湘南海岸公園鵠沼:1991年11月)

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 この日は301編成がしっかり撮影できました。もうまもなく、江ノ電も古き佳き時代の終焉を迎える頃でした。

 

さて、ここで少し前の写真が出てきたので、ついでにご紹介します。

 

7.デハ603+デハ604、デハ801+デハ802他 (極楽寺:1980年3月)

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この写真は私が高校時代に広島から東京へ遊びに来た際に、江ノ島に出向いた時のものです。今となっては大変懐かしい車両が写っています。左の元玉電だったデハ603は、前面窓が更新前で前照灯も2灯化移設前の原形です。右のデハ801は元山梨交通モハ7を前身とする車両で、上田交通経由で江ノ電に来ました。これも前照灯が2灯化移設前の原形です。デハ603は1983年、デハ801は1986年に廃車されました。

 

8.デハ108 (極楽寺:1980年3月)

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そして、当時現役だった両運車のデハ108です。この頃はもう1両デハ107も健在でした。新潟鐵工製の貴重な電車です。共に1982年1月に廃車となりましたが、このデハ108は動態保存となり現存します。

これらの写真は、インスタントカメラで撮影したもので、お見苦しい画像で恐縮ですが、これこそが古き佳き時代の江ノ電車両でした。