ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第931話 1993年大井川:旧型5連のシーズン到来!!(その2)

この日は、まだ時間が早いせいか、5連も4連も現れません。まあ、そのうち走るはずですが、この日はGWだったので、SL列車も2本運転されるとのことで、タイミングが合えば撮影しようと思いました。

 

1.モハ313+クハ513 (崎平~千頭:1993年5月)

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続いてやって来たのは、モハ313+クハ513でした。この電車は元西武クモハ351形ですが、1990年に本家の西武鉄道からなくなり、元同僚である上毛電鉄のデハ230形も1992年になくなり、改造車とは言え、とうとう大井川の4両だけになってしまいました。

 

2.モハ313+クハ513 (崎平~千頭:1993年5月)

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この電車は元々3ドアの通勤タイプですが、大井川では2ドア化を行い、西武の初代レッドアロー号のクロスシートを装着して、一応観光列車になりきっていました。当時はこの電車を所詮通勤電車だろうと、冷めた視線で見ていましたが、最近ではこの様な成り上がり観光電車があちこちに登場しており、今考えるとこの電車はその先駆けだったわけです。

 

3.モハ312+クハ512 (崎平~千頭:1993年5月)

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この電車は、もう1編成のモハ312+クハ512です。モハ313+クハ513とは全く同型の車両で見た目の区別がつきませんが、それぞれ違うヘッドマークを付けていたので、なんとか見極めができました。

 

4.モハ312+クハ512 (崎平~千頭:1993年5月)

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モハ300形とクハ500形は、元々雑多な移籍車両を統合した形式の車両でしたが、この時点では、初期車は淘汰されてモハ311~313とクハ511~513の3編成になっていました。そして、モハ311+クハ511だけは元旧国であり形態が異なりました。

 

5.モハ312+クハ512 (崎平~千頭:1993年5月)

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この日は大井川の水量も少なく、河原に下りて撮影ができました。水量が少ないので、対岸に渡れそうでしたが、この鉄橋の後ろには立派なコンクリート製の道路橋が完成していたので、川の横断はやめました。以前は、対岸に渡るのに橋のある場所まで大回りしなければならず、時間もかかり大変でしたが、ものすごく便利になりました。しかし、どんどん周りの風景が変わり、撮影もし辛くなってきました。

 

6.モハ6011+クハ6061 (崎平~千頭:1993年5月)

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再び茶畑を行くアルミカーです。GWの川根路は、ちょうど新茶の頃でした。冷たい銀色の電車も新茶色になごみます。

第930話 1993年大井川:旧型5連のシーズン到来!!

1990年代前半はバブル景気でどこの観光地も賑わっていました。大井川鉄道の沿線も目立った観光地はなさそうですが、SL列車の運行ですっかり有名となり、結構賑わっており、そのおすそ分けで運行される4連、5連の吊掛電車を求めて撮影に出向きました。今回は1993年GWの行楽列車の様子です。

 

1.B15保存車 (崎平:1993年5月)

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この日は天気も良く、間違いなく5連が走ると確信し、崎平の橋梁を目指しました。崎平では、相変わらず元西武山口線のおとぎ列車が出迎えてくれましたが、中途半端にお色直しされていました。

 

2.B15+24+22,25+26+B13保存車 (崎平:1993年5月)

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半年前は、かなり錆びていましたが、行楽シーズンを前に、展示列車があまりにもみすぼらしい姿はまずいと思われたのか、とりあえずBLのみ手塗りでタッチアップされていました。しかし、客車は手つかずで、BLとのアンバランスがかえって虚しく思われました。

 

3.モハ311+クハ511(崎平~千頭:1993年5月)

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さて、電車の撮影ですが、陽の向きと5連撮影を考えて、崎平~千頭間にある大井川第3橋梁に腰を据えました。この場所は橋梁の崎平寄りにある茶畑で、ズームレンズがあれば、何枚でも連写できる場所です。

 

4.モハ311+クハ511(崎平~千頭:1993年5月)

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最初にやって来たのは国鉄クモハ11形を前身とする元西武371形のモハ311+クハ511です。2連ですが幸先の良いスタートです。

 

5.モハ6011+クハ6061(崎平~千頭:1993年5月)

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そして、元北陸鉄道アルミカーです。日差しが強いので、眩しい写真になってしまいました。この頃のこの電車は、まだ前面に補助灯が追加されていないオリジナルの姿を留めていました。しかしながら、いつ見てもユーモラスな電車です。

 

6.モハ6011+クハ6061(崎平~千頭:1993年5月)

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同じ場所からズームレンズで追い掛けるとこんな感じです。ここなら5連でも大丈夫です。さて、5連はいつ現れるのか、あとは待つだけです。

第929話 1994年立山砂防:通りすがりの者です。(その3)

この前年もそうでしたが、GW頃の立山砂防はその年の積雪量で軌道の運行がどうなるか分かりません。ましてや、運行情報など現地に行ってみないと分からないので、空振り覚悟は当然でした。しかし、この年の様に軌道の復旧作業に活躍する砂防軌道の一面は、それはそれで十分にこの軌道の魅力なのかも知れません。

 

1.天鳥橋復旧作業 (天鳥橋:1994年5月)

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今回の立山砂防では、復旧作業のお手本を見ることができました。重機も入れないこんな山中では、やはり人海戦術ありきでした。

 

2.天鳥橋復旧作業 (天鳥橋:1994年5月)

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この時点では、機関車が入れるのはここまででしたが、河原の仮設道路は使用できる様なので、これより奥地の復旧作業も進められていたのかも知れません。終点の水谷も、有峰方面からの林道が開通していれば、とりあえずは、この軌道に頼らなくても業務は始まっていたかも知れません。

 

3.天鳥橋復旧作業 (天鳥待避線:1994年5月)

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しかし、それでもこの軌道の復旧作業は欠く事のできない重要な業務です。

 

4.天鳥橋復旧作業 (天鳥橋:1994年5月)

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さて、橋桁が1本設置できたところで休憩時間の様です。休憩と言っても休憩所はなく、皆さんどうするのか?

 

5.天鳥橋復旧作業 (天鳥橋:1994年5月)

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結局線路に座り込むしかありません。私は河原のデカい岩に腰かけて、少し早い昼食を頂きました。昼食は前日に買っておいた富山名物の鱒の寿司と昆布巻蒲鉾です。富山のお土産の様な昼食ですが、元々この日は水谷まで歩く計画だったので、非常食用に持参したものです。この日はここより奥に行くことも出来ないので、荷物を減らすために一気に食べました。

 

6.天鳥橋復旧作業 (天鳥退避線:1994年5月)

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この資材列車を見ていると、ジオラマに登場する模型の様です。

 

7.立山砂防資材列車1/87模型:津川洋行製

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ちなみに、これは20年程前に立山で開催されたトロッコ・サミットの写真展で頂いた津川洋行製の模型ですが、偶然同じ様な資材列車です。

 

8.天鳥橋復旧作業 (天鳥待避線:1994年5月)

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この日は、この先に進んでも列車の撮影はできないので、戻りながら撮影することにしました。帰り道もいたるところで保線作業が行われており、臨時列車も運行されていました。帰り道の様子は改めてお伝えします。

第928話 1994年立山砂防:通りすがりの者です。(その2)

なにやら作業が始まったので、現場にお邪魔しました。重機もなくどうやって橋桁を渡すのか、興味津々で見ていると、沢の両岸にワイヤーロープが渡されていました。そのワイヤーロープですが、両端は適当に太そうな木に結ばれており、どうやら、このワイヤーに橋桁を吊るす様です。

 

1.天鳥橋復旧作業 (天鳥橋:1994年5月)

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橋台のたもとには機関車が1台待機していました。機関車も重機と言えばそうなのかも知れません。もしかして、この機関車で橋桁を引っ張るのか?

 

2.天鳥橋復旧作業 (天鳥橋:1994年5月)

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ワイヤーには滑車が付いたチェーンブロックが2個吊るされています。そのフックに橋桁に巻かれたスリングを吊って、準備完了です。

 

3.天鳥橋復旧作業 (天鳥橋:1994年5月)

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・・・で、機関車で引っ張るのかと思ったら、人海戦術でした。橋桁の重みでワイヤーが大きくたわみましたが、見る見るうちに滑車が転がり、橋桁はゆっくり宙を移動します。重機に頼らない土木作業の原点を学びました。

 

4.天鳥橋復旧作業 (天鳥橋:1994年5月)

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この作業は、毎年恒例なので、皆さん手慣れたものです。恐らく、この軌道が始まって以来、ずっと継承されてきた作業です。

 

5.天鳥橋復旧作業 (天鳥橋:1994年5月)

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橋桁は無事に橋台に着地!しかしながら、こんな作業がこの先何箇所あるのか?水谷はまだまだ遠いです。この調子だと、全線開通は6月でしょうか?

 

6.天鳥橋復旧作業 (天鳥橋:1994年5月)

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そして、設置位置の微調整を行い締結です。あっという間に、橋桁が1本装着されました。一連の作業を撮影していたら、現場のオジサンから「新聞社の人ですか?」と尋ねられました。一瞬返事に困ってしまいましたが、とっさに「通りすがりの者です。」と答えたところ、不思議そうに行ってしまいました。まあ、街中の工事現場なら「通りすがり」もありですが、こんな場所で「通りすがり」とはどういう事なのか?自分でもよくわかりませんでした。

 

7.天鳥橋復旧作業 (天鳥橋:1994年5月)

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この沢の周りには、まだまだぶ厚い残雪が残っていましたが、真冬は10mを越える積雪で、雪崩も頻繁に発生するものと思われます。もし、橋桁を撤去しなければ、雪崩に持って行かれるのでしょう。ここは、崖崩れあり、雪崩ありの超危険地帯です。

第927話 1994年立山砂防:通りすがりの者です。

1994年のGWは、早春の立山砂防に出向きましたが、この年は春が遅く、まだ雪解けの最中で、砂防軌道も全通していませんでした。

 

1.グリーンカルデラ号 (天鳥オーバーハング:1994年5月)

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この時、私は気合を入れて水谷まで歩くつもりでしたが、天鳥オーバーハングを越えたあたりでストップ!!あるはずの橋がありません。そこは天鳥橋でした。しかも橋桁が軌道上に置かれており、もしや砂防軌道はまだ冬越しの最中なのか・・・・。

 

2.グリーンカルデラ号 (天鳥オーバーハング:1994年5月)

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その時の様子は、第835話第837話でお伝えしましたが、今回はその続きで、天鳥橋の復旧作業の様子です。

 

3.グリーンカルデラ号 (天鳥オーバーハング:1994年5月)

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機関車がせわしなく往来しました。作業員も集まりましたが、肝心な重機はいつやって来るのか?

 

4.グリーンカルデラ号 (天鳥待避線:1994年5月)

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さて、橋の復旧作業はそれとして、先程から岩がコロコロ転がって来ます。オッと、結構デカいのも!!。この機関車の背景は崖崩れ現場です。こんな場所に機関車を停めて大丈夫なのか?

 

5.グリーンカルデラ号 (天鳥待避線:1994年5月)

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この場所を少し離れて撮ると、こんな状況でした。この崖崩れは、この場所の路線変更の原因となったもので、来る度に崩壊が大きくなっていました。そのうち軌道が寸断されてしまうのではないかと心配になりましたが、結局この場所はトンネルでバイパスされてしまい、中小屋スイッチバック、天鳥オバーハングなど、砂防軌道の見所を走る区間が廃止されました。

 

6.人車列車 (天鳥待避線:1994年5月)

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この列車は、大勢の作業員を乗せて来た通勤列車ですが、皆さん作業現場に行ってしまい、運転士のオジサンが一人留守番です。

 

7.人車列車 (天鳥待避線:1994年5月)

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このオバちゃん達も、復旧工事の応援なのでしょうか?まもなく天鳥橋の復旧工事が始まります。・・・で、重機はいつ来るの?

第926話 1994年岡山電軌:無難な変貌(その3)

続いて、岡電車両コレクションです。岡電は1980年から毎年ほぼ同じスタイルの新車導入を継続していましたが、7600形以降はスタイルに少し変化が現れました。

 

1.8303 (東山:1994年7月)

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時代の流行なのか、多少角の取れたソフトなスタイルになりましたが、相変わらず吊掛車でした。完全新製車も徐々に増えてきましたが、なかなか本物の軽快電車は現れません。まあ、在来車の機器流用車との混在を考えると、これも仕方ないのか、無難な変貌が続きました。

 

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7600形(注1)は1986年に1両だけ導入された7次車で、これも完全新製車でした。車両性能は7500形から変わりませんが、前面と側窓に変化がありました。このタイプも新製時は岡電のオリジナル塗装でしたが、この時には「キツネの温泉電車」になっていました。

(注1)7600形の車歴

岡電7601:アルナ工機製(完全新製)

 

3.7701 (東山:1994年3月)

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7700形(注2)は1987年に1両だけ導入された8次車で、スタイルは7600形を踏襲していますが、臓物は2501(元呉市電700形)からの流用です。この7700形の導入で、雑多な旧型車の更新が完了しました。

(注2)7700形の車歴

岡電7701:アルナ工機製(2501から機器流用)

 

4.7901 (東山:1994年3月)

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1980年から毎年継続された新車導入は7700形で一段落しましたが、2年後の1989年から再び新車導入が再開されました。これ以降の増備車は7900形(注3)に形式が統合され、すべて完全新製車となりました。

7901は1989年に1両導入されました。ここでまた、スタイルに変化があり、前面の傾斜が少しきつくなりました。

 

5.8101 (東山:1994年3月)

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8101は1991年に導入されました。この車両から車号が8000番台となりましたが、形式は7900形で、車両性能やスタイルも7901と同じです。

 

6.8201 (東山:1994年3月)

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8102は1992年に導入されました。この電車はJR西日本の広告電車で、カラーリングは当時の300系のぞみ号をイメージしたものです。この頃は300系のぞみ号に大変お世話になりましたが、300系はもう現在の「のぞみ号」の5世代前の車両です。

 

7.8301 (東山:1994年3月)

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8103は1993年に導入されました。この時点で一番新しい車両でした。渋い塗装ですが、これは広告電車ではなく、イベントを意識したものの様です。7900形は1995年にも8105が最終増備されますが、その後は3000形がしばらく残存したので、新車の増備は2001年のLRV9200形までありませんが、その後も琴電訪問のついでに時々立ち寄りました。ところで、現在も軽快電車モドキたちは健在ですが、さすがに旧車の機器を流用したグループは、臓物がくたびれていると思われます。今後の動向が気になるところです。

第925話 1994年岡山電軌:無難な変貌(その2)

さて、ここからは当時の岡電車両のご紹介ですが、正直、私は興味がない車両ばかりです。7000形以降の軽快電車モドキは皆同じ様なスタイルの車両で、あまり特徴がありません。よって、広告電車コレクションです。

 

1.東山車庫7001他 (東山:1994年7月)

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この頃の岡電は、全車広告車のようでした。この際全形式をご紹介したかったのですが、3000形や一部の車両はご覧の様に留置車両の奥に突っ込まれており、撮影できませんでした。

 

2.7001 (東山:1994年7月)

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7000形(注1)は広電の軽快電車3500形よりも3カ月早い1980年4月に登場した元祖軽快電車モドキです。登場時はオリジナル塗装でしたが、バブル期に広告車となり、この当時は7001が「まんじゅう電車」になっていました。ちなみに同時期に導入された7002は後ろの「電話帳電車」になっていました。7000形は、2000形(元呉市電800形)の臓物を流用しています。

 

3.7101 (東山:1994年3月)

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7100形(注2)は1981年に導入された2次車で、1000形(元秋田市電200形)の臓物を流用して2両導入されました。ほとんど7000形と同形態ですが、側窓保護棒の省略、尾灯位置やバンパーなど細部が変更されています。7101は「道楽電車」、7102は広電でも見た様な「情報電車」になっていました。

 

4.7102 (東山:1994年3月)

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(注1)7000形の車歴

岡電7001,7002:1980年アルナ工機製(2000形機器流用)

(注2)7100形の車歴

岡電7101,7102:1981年アルナ工機製(1000形機器流用)

 

5.7201 (東山:1994年7月)

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7200形(注3)は1982年に導入された3次車で、3500形(元大分交通別大線500形)の臓物を流用して2両導入されました。7100形とほぼ同形態です。7201は「住宅電車」でしたが、7202は未確認でした。

 

6.7301 (東山:1994年7月)

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7300形(注4)は1983年に導入された4次車で、7301が2500形(元呉市電700形)、7302が2600形(元呉市電600形)の臓物を流用して2両導入されました。7100形とほぼ同形態ですが、7301は「缶コーヒー電車」、7302は「軽いタバコ電車」になっていました。

 

7.7302 (東山:1994年7月)

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(注3)7200形の車歴

岡電7201,7202:1982年アルナ工機製(3500形機器流用)

(注4)7300形の車歴

岡電7301,7302:1983年アルナ工機製(2502,2601機器流用)

今回撮影できず、画像がないのは、7400形(注5)、7500形(注6)です。この2形式はいずれも1形式1両で1984年と1985年に1両ずつ導入されましたが、形態は7300形ベースで、在来車の機器流用ではなく、完全新製の吊掛車となりました。

(注5)7400形の車歴

岡電7401:1984アルナ工機製(完全新製)

(注6)7500形の車歴

岡電7501:1985年アルナ工機製(完全新製)