ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

2019-01-01から1ヶ月間の記事一覧

第73話 1991年高松琴平 お楽しみの雑多車両(その2)

続いて、水田~西前田間のカーブです。長尾線のラッシュは単線にもかかわらず15分間隔で運行されていたので、上、下の列車がひっきりなしでやって来ます。よって、撮影場所を変えて移動する時間もなく、同じ場所で撮り続けることになります。 1. 750+870 …

第72話 1991年高松琴平 お楽しみの雑多車両

1991年の年末は、1年ぶりの高松に出向きました。1年前の様子は、第8話~第13話をご参照下さい。 まずは、長尾線水田~西前田間のカーブです。ここは朝のうち順光でズームレンズがあれば何枚でも連写できる場所です。実は友人から70~200㎜のズームレンズを50…

第71話 1986年筑波 北海道の帰り道(その6)

寄り道の最後は筑波鉄道です。2年振りの筑波鉄道ですが、そろそろ廃止の噂が立っていました。(このブログの第55,56話をご参照下さい。) 相変わらず天気が悪く、筑波鉄道も走行写真を諦めて真鍋機関区に直行です。真鍋機関区は土浦の隣駅である新土浦の手…

第70話 1986年鹿島 北海道の帰り道(その5)

1986年当時、鹿島鉄道には元国鉄キハ41000形を前身とする車両が辛うじて存在しました。ただし、2連化されて前面も2枚窓化されており、希少価値が半減です。 1.キハ411+キハ412 (石岡:1986年3月) 元国鉄キハ41000形であるキハ410形(注1)は、この年に廃…

第69話 1986年鹿島 北海道の帰り道(その4)

続く鹿島鉄道も天気が悪く、走行写真は諦めて、石岡機関区で車両撮影に専念しました。鹿島鉄道も昨年に続く訪問です。(このブログの第37,38話をご参照下さい。) 現在の石岡駅は鹿島鉄道の跡形もありませんが、石岡機関区は石岡駅に隣接していました。機関…

第68話 1986年茨城交通 北海道の帰り道(その3)

大館から乗った上野行の急行「津軽号」は上野まで13時間近くかかります。急行ではありますが14形客車で簡易リクライニングシートなので特急車並みです。しかし座席車で座りっぱなしは非常に辛く、ほとんど眠れません。耐えきれなかったわけではありませんが…

第67話 1986年同和小坂 北海道の帰り道(その2)

南部縦貫鉄道の次は同和鉱業小坂鉄道です。 小坂は七戸から十和田湖を挟んでちょうど反対側に位置し、直線距離はさほど離れていませんが、青森に戻って奥羽本線で大館に出るのが無難でした。しかし、時間が掛かるので青森から特急に乗車し、大館に着いたのは…

第66話 1986年南部縦貫 北海道の帰り道

1986年3月、何を思ったのか突然冬の北海道に向かいました。当時は学生の貧乏旅行だったので贅沢はできません。国鉄の北海道ワイド周遊券をフル活用です。当時この周遊券は都内から買うと、有効期間が20日間ほどあり、北海道までの往復は急行列車の自由席が利…

第65話 1979,1980年下津井 瀬戸大橋がなかった頃

私は中学生時代から古い鉄道車両を求めて山陽地区のローカル私鉄を見て回りましたが、岡山に存在した下津井電鉄にはなかなか出向けませんでした。 下津井電鉄はナローゲージということで、非常に気にはなっていましたが、出向けなかった理由は、とても不便な…

第64話 1985年大井川 本来のローカル輸送(その5)

大井川鉄道の本線車両の車庫は新金谷ですが、井川線の車両は川根両国に拠点がありました。 この川根両国には専用線時代に導入された小型のMr.KATOがいました。 1.川根両国車両区全景 (川根両国:1985年9月) 川根両国車両区は南アルプスの雄大な自然の中…

第63話 1985年大井川 本来のローカル輸送(その4)

大井川鉄道はなんだか観光鉄道が本業みたいですが、その生い立ちは大井川上流の電源開発や森林資源の輸送が目的でした。すでに木材輸送はなくなってしまいましたが、ダム建設やダムの保守には大井川鉄道が欠かせない存在です。特に、千頭から奥の井川線はダ…

第62話 1985年大井川 本来のローカル輸送(その3)

くどいようですが、今回の大井川訪問はSLではなく、電車を見るためでした。 しかし個性豊かな買収国電や西武の初期車達はすでにリタイアした後で、イマイチ面白味に欠けていました。 大井川鉄道にはモハ300形、クハ500形というシリーズの電車がいました。シ…

第61話 1985年大井川 本来のローカル輸送(その2)

今回の大井川訪問の目的はSLではなく電車でした。 よって、SLの写真は1枚もありません。大井川まで行ってSLを見ないとは、日光に行って東照宮の陽明門を見ないのと同じです。自分でも相当なひねくれ者と思っています。それでは当時の電車をご紹介します。 1…

第60話 1985年大井川 本来のローカル輸送

1985年の大学の夏休みは、バイト先で知り合った旧型国電が大好きな友人と、甲信、北陸、中部を早回りし、吊掛車三昧の末、最後に大井川鉄道に辿り着きました。 大井川鉄道と言えばSLです。 最近はSLにTVキャラクターの装飾を施し盛り上がっていますが、反面…

第59話 1984年関東(常総) 大非電化私鉄の"東の雄”(その4)

引き続き、関東鉄道常総線の車両ですが、徐々にディープになってきました。ここからは更にゲテモノ特集で気合が入ります。なお、今回はまともな写真がなく、非常に画像が荒れていますがご了承下さい。 関東鉄道は常総線の複線化など大量輸送の備えを昭和40年…

第58話 1984年関東(常総) 大非電化私鉄の"東の雄”(その3)

気動車好きの私にとって、敷居の高かったのが関東鉄道常総線でした。 その理由は常総線がすでに通勤路線化されており、とてもローカル線とは言えない路線になっていたことと、歴史ある車両もことごとく“関東流の洗礼”を浴びて普通の通勤車に改造されていたた…

第57話 1984年筑波 大非電化私鉄の"東の雄”(その2)

1984年当時、筑波鉄道の気動車は常総筑波時代の自社発注グループ、北海道の雄別炭鉱から来たグループ、そして雑多な面々でした。一応観光路線でもあったので、クロスシート車が集められました。 常総筑波時代の筑波線は一番華やいだ頃で、急行「つくばね号」…

第56話 1984年筑波 大非電化私鉄の“東の雄”

かつて、「西の江若、東の常総筑波」と言われた二大非電化私鉄ですが、江若鉄道は国鉄湖西線に道を譲り消滅、一方、常総筑波鉄道は鹿島参宮鉄道と合併して関東鉄道となり、更なる巨大化を図りました。 私は、古い気動車に大変興味があり、中学生時代から古い…

第55話 1985年北陸(小松) しぶとかったミニ路線(その2)

北陸鉄道小松線は、北陸鉄道の中でもお荷物だったのか、ほとんど設備投資されておらず、車両もずっと雑多な小型車両ばかりが集結していましたが、晩年はまともなモハ3000形に統一されました。 1.日中昼寝をするモハ3000形 (小松:1985年9月) 小松線には5…

第54話 1985年北陸(小松) しぶとかったミニ路線

石川県の小松市といえば、大企業の小松製作所があまりにも有名ですが、小松の鉄道といえば・・・? 大方の鉄道ファンの方なら、間違いなく"尾小屋鉄道”と回答されるでしょう。やはり小松といえば尾小屋です。しかし、一人くらいは北陸鉄道小松線と答える方が…

第53話 1985年北陸(石川) まだ田舎電車だった頃(その3)

北陸鉄道の金名線の加賀一の宮~白山下間が休止となったのは1984年12月でした。それからまだ9ヵ月しか経っていませんでしたが、運行再開の兆しは全く感じられず、もともと廃止を思案していたのが、手取川橋梁の橋台路盤風化という想定外の災難によって具体化…

第52話 1985年北陸(石川) まだ田舎電車だった頃(その2)

金沢には北陸鉄道の本線的存在の石川総線という路線がありました。 これは石川電気鉄道及び金野軌道を前身とする石川線(鶴来~新西金沢~白菊町)、能美電気鉄道を前身とする能美線(新寺井~鶴来)、金名鉄道を前身とする金名線(鶴来~白山下)の3路線を…

第51話 1985年北陸(浅野川) まだ田舎電車だった頃

かつて北陸地方には非常にたくさんのローカル私鉄が存在しました。 そのほとんどが北陸本線から分岐しており、昭和30年代までは賑やかだったことと思います。しかし昭和40年代になると大半が廃止となり、昭和の晩年には、すでに今現在とほとんど変わらぬ状況…

第50話 1985年野上 和歌山の小私鉄(その5)

野上電鉄では“大正時代のお宝”が現役でした。 さすがに開業時の電車は残っていませんでしたが、大正生まれの阪神電車や阪急電車が台車を振り替えて余生を送っていました。 1.元阪神601形 モハ24 (日方:1985年12月) 大正末期、関西地区の私鉄には卵型と…

第49話 1985年野上 和歌山の小私鉄(その4)

年が明けました。いよいよ平成も終わりに近づいていますが、当方は相変わらず昭和の晩年を回想中です。 さて、和歌山の海南には古くから野上電鉄が走っていました。 開業は1916年でここも紀勢本線より早い開業です。しかし沿線は途中から貴志川の渓谷に沿っ…