私にとって、広電に対する11年間のブランクは大きく、その間の変貌には正直ショックが伴いました。それは宮島線の高床車の消滅です。 私が広島を離れた、1982年3月時点ですでに宮島線の高床車は、元阪急の中古車である1070形、1080形とオリジナルの車体を持…
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