ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

2020-01-01から1ヶ月間の記事一覧

第300話 番外編:趣味の原点

当ブログは今回300回の節目を迎えました。ここまで続くとは思いませんでしたが、微力ではありますが、これからも続きますので宜しくお願い致します。さて、節目だった100回目、200回目は、番外編として通常とは趣の異なる内容を投稿しましたが、今回も番外編…

第299話 1986年日本セメント上磯:突然の工場見学

1986年3月の北海道旅行の最後に、気になっていた上磯の日本セメント専用線に出向きました。そこは、古くから2軸の古典凸型電機がいたことで有名で、これを見るのが目的でした。 この路線は、現在の道南いさりび鉄道(旧津軽海峡線)上磯駅の近くにあるセメ…

第298話 1987年筑波:最後の日々(その7)

話しは前後しますが、常磐線沿線のローカル私鉄早回り3日目の朝は真壁からスタートしました。 真壁には筑波鉄道の気動車駐泊設備があり、真壁始発の列車がありました。昨晩は真壁に泊まったので、早朝から気動車の出庫を見届けました。 1.キハ503、キハ821…

第297話 1987年筑波:最後の日々(その6)

この撮影では、できるだけ多くの場所で撮影を行いましたが、改めて写真を見ると、どの写真も同じような風景に見えます。それだけ沿線風景に変化がないと言うことです。 1.キハ504 (雨引~岩瀬:1987年3月) 筑波鉄道北辺の雨引~岩瀬間の写真です。この駅…

第296話 1987年筑波:最後の日々(その5)

今回の常磐線沿線ローカル私鉄早回りは、3日間かけて行いました。 そのうち、筑波鉄道には初日と3日目の訪問となりました。初日は天気がスッキリしませんでしたが、3日目は何とか晴れました。 1.キハ821+キハ301 (東飯田~樺穂:1987年3月) 2日目は日立…

第295話 1987年筑波:最後の日々(その4)

路線廃止まであと半月でしたが、真鍋機関区では現役車両はいつもと変わらず、坦々と整備されていました。 1.キハ503 (真鍋:1987年3月) キハ500形は、廃止後もどこかで生き延びるだろうと思っていましたが、結局は他の車両同様に廃車解体されました。 2…

第294話 1987年筑波:最後の日々(その3)

筑波鉄道の真鍋機関区では、廃止に向けて既に廃車となった車両の解体作業が進んでいました。この1月に訪問した際には、事故廃車となったキハ812が解体中でした。それに続くキクハ11が解体待ちでした。 1.キハ511 (真鍋:1987年3月) この日、キハ511Ⅱが庫…

第293話 1987年筑波:最後の日々(その2)

思えば、筑波鉄道は走行写真がほとんどありませんでした。 鹿島鉄道の様に沿線風景が変化に富んでいなかったことと、車両も晩年は整理されてしまい、貫通タイプのつまらない車両ばかりだったことが理由です。 しかし、もう半月ほどで筑波鉄道はなくなってし…

第292話 1987年筑波:最後の日々

1987年3月はいよいよ筑波鉄道が廃止となります。そして私自身も大学を卒業となり、就職したらもう暇はないだろうと、就職ギリギリまで筑波通いをしました。 今回は廃止を間近に控えた筑波鉄道の話題です。 1.キハ763、キハ505+キハ504 (常陸藤沢:1987年3…

第291話 1989年三岐:本業はセメント輸送?(その2)

三岐鉄道の話題が電気機関車から電車になりましたが、三岐鉄道はその昔非電化の時代がありました。もちろんその当時のことは私も知りませんが、あの別府鉄道の気動車や客車が三岐出身で、非電化の頃活躍していました。特に別府鉄道のキハ2は元三岐鉄道の発注…

第290話 1989年三岐:本業はセメント輸送?

昔から三重県には多くの鉄道が存在しました。その中でも伊勢湾に面した地域には紀勢本線や近鉄名古屋線などの大動脈やそれらを起点とするローカル線がいたるところから出ていました。特にこの地域は多くの小規模な軽便鉄道が発生し、それらは戦時下の統制で…

第289話 1988年日鉄尻屋:断崖の鉱山軌道(その6)

この日は選鉱場と坑口間を何度も往復しましたが、夕方になり、そろそろ帰りの時間が近づいてきました。 帰りのバスに乗り遅れると大変なことになるので、そろそろ撤収です。帰りは、選鉱場から坑口方向に歩きながら撮影し、鉱務事務所近くのバス停からバスに…

第288話 1988年日鉄尻屋:断崖の鉱山軌道(その5)

鉱山坑口の高台から津軽海峡をバックに鉱石列車を撮影しました。 この日の津軽海峡は大変穏やかでした。 1.№3空車列車 (坑口付近:1988年5月) 電線が邪魔ですが、ここはいったいどこなのか?と思うような写真です。 2.№2積車列車 (坑口付近:1988年5…

第287話 1988年日鉄尻屋:断崖の鉱山軌道(その4)

午後になると、陽の向きが変わり、鉱山行きの空車列車が順光で撮影できました。 しかし、この向きでは海を入れて撮影はできません。 1.№1空車列車 (鉱務事務所付近:1988年5月) 1号機の牽く空車列車は壮観でした。1号機はフロント面の丸いパンチ穴が特徴…

第286話 1988年日鉄尻屋:断崖の鉱山軌道(その3)

尻屋鉱業所では、お昼になると鉱石列車は鉱務事務所の前に集結し、運行が止まります。この時間帯は機関車の形式写真や細部撮影には最適ですが、ここで昼休みです。 しかし、この僻地には食事ができる店は一軒もありません。それどころか、食べ物を調達できる…

第285話 1988年日鉄尻屋:断崖の鉱山軌道(その2)

この鉱山軌道の存在を知ったのは、40年前に購入した「知られざるナローたち(丸善出版)」という鉄道誌でした。その雑誌には、尻屋鉱業所の冬の様子が掲載されていましたが、日本にもこんな場所があることを知り、早速地図を買って所在地を調べたりしました…

第284話 1988年日鉄尻屋:断崖の鉱山軌道

青森県の下北半島と言えば、まず思い浮かぶのは恐山ですが、その下北半島の太平洋側には、尻屋崎という断崖絶壁の名所があります。この尻屋崎は寒立馬(かんだちめ)という冬場に風雪に耐える馬の放牧が有名ですが、人も住んでいない断崖絶壁のこの地に大規…

第283話 1986年国鉄(北海道):最果ての夏(その6)

標津線には中標津~厚床間の枝線が存在しました。 しかし、この区間は1日たった4往復の列車しか走っておらず、乗るにも不便で近寄り難い路線でした。ところで、この路線はかつて奥行臼から別海村営軌道風連線が接続していた時期があり、その遺構を求めて、上…

第282話 1986年国鉄(北海道):最果ての夏(その5)

道東の夏は清々しく、大陸的な光景がつまらない車両を引き立てます。 しかし、広大なスケールを写真でお伝えすることは非常に難しいです。 1.キハ246 (上武佐~中標津:1986年8月) 標津線には、キハ22形とキハ40形100番代しかいないと思っていたら、なん…

第281話 1986年国鉄(北海道):最果ての夏(その4)

明けましておめでとうございます。令和2年ですが、今日の話題も昭和61年です。 さて、雨でスタートした2度目の北海道ですが、標津線でようやく快晴に恵まれました。 標津線は、道東の根釧台地に存在した路線で、中標津を中核に、中標津~標茶(釧網本線)間…