ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

2020-08-01から1ヶ月間の記事一覧

第430話 1987年筑波:終焉の時(その2)

真壁付近で撮影後、岩瀬方面に歩きました。この辺りはほんの2週間ほど前にも訪れた場所ですが、若干、春めいて来ました。これからが撮影には最適のシーズンですが、私にとっては、もうこの日が最後です。 1.キハ504 (東飯田~雨引:1987年3月) ここは東…

第429話 1987年筑波:終焉の時

1987年3月は、私にとっていよいよ学生最後の春休みとなりましたが、筑波鉄道の最後でもありました。この年は年明けから暇な学生時代の最後の悪あがきで、常磐線沿線の非電化私鉄を彷徨していましたが、その最後の締めは筑波鉄道でした。 筑波鉄道は3月31日が…

第428話 1986年国鉄(北海道):酷寒の気動車(その4)

10日間ほど道内を放浪しました。 そして、もういいと言うほど、14形座席車に乗りました。この前日も宿代をけちって、14形の急行利尻号で車中泊でした。利尻号にはB寝台車が連結されていましたが、ここで寝台車に乗っては貧乏旅行の意味がありません。 この…

第427話 1986年国鉄(北海道):酷寒の気動車(その3)

冬の北海道はやはり寒く、暖房の効いた列車から降りて撮影するのが面倒になってしまい、あてもなく、ひたすら列車に乗り続けました。 そしてこの日は、前日の夜に札幌から急行大雪号に乗り、網走方面を目指しましたが、せっかくなので流氷を見るため夜中に遠…

第426話 1986年国鉄(北海道):酷寒の気動車(その2)

1986年は国鉄の分割民営化に向けて、なにかと微妙な時期でした。 特に北海道は赤字路線が多く、民営化されたら大半の路線が廃止になることが目に見えていました。これから乗る標津線もそうでしたが、これらの路線がなくなると、もう貧乏旅行も出来なくなって…

第425話 1986年国鉄(北海道):酷寒の気動車

毎日異常な暑さが続いていますが、少しは気休めになるか、涼しい話題を探してみました。 1985年~1986年の国鉄時代の夏の北海道の様子を、第278話~第283話で報告しましたが、今回は1986年の冬の北海道の話題です。 いったい何のために、こんな寒い時期に北…

第424話 1991年野上:アーモンドチョコ出現の頃(その3)

この日は、ラッシュが終わったあともデ12とデ13が引き続き運用されました。 同じような車両を同じ場所で撮り続けてもしょうがないので、撮影場所を野上中~北山間に移動しました。 1.デ13 (野上中~北山:1991年12月) デ13がやって来ました。年末なので…

第423話 1991年野上:アーモンドチョコ出現の頃(その2)

野上電鉄の撮影2日目は朝からラッシュ時の撮影を行いました。 朝のうちは何とか晴れましたが、年末のためか2連は登場せず、この日も終日デ10形の独壇場でした。 1.デ11 (重根~幡川:1991年12月) 朝の撮影は、順光となる重根~幡川間です。ここはのどか…

第422話 1991年野上:アーモンドチョコ出現の頃

1991年の年末から1992年の年始にかけて、和歌山のローカル私鉄と琴電を早回りしました。この年末は天気が悪く、イマイチ気合の入らないまま、紀州、有田、野上と巡ってきました。 今回はその野上電鉄の話題です。 1.デ11 (登山口:1991年12月) この年、…

第421話 1990年富山地鉄:車庫に潜む縁の下のベテラン

1990年のGWは久々に北陸地方のローカル私鉄早回りを行いましたが、富山地鉄で雨に降られてしまいました。 この頃の富山地鉄は、まだ京阪3000系が導入される前で、辛うじて吊り掛け車も残っていましたが、雨に降られてはどうしょうもありません。沿線撮影も…

第420話 1987年鹿島:梅雨晴れの霞ヶ浦(その2)

1987年3月末に、お隣の筑波鉄道が廃止となりました。私はてっきり筑波の車両が鹿島に転属して、キハ600形などが淘汰されるものと思っていましたが、結局、筑波の車両は1両も鹿島にやって来ませんでした。 1.キハ601+キハ602 (浜~八木蒔:1987年6月) 筑…

第419話 1987年鹿島:梅雨晴れの霞ヶ浦

1987年は私が社会人になった年です。 入社初っ端は、新入社員研修やら工場実習やら3ヵ月ほど転々とし、結局、東京の技術部門に配属となり、蒲田勤務となりました。その頃はまだ新人だったので仕事もタイトではなく、土曜日は休みだったので家に居ても仕方な…

第418話 1987年蒲原:残された小鉄道(その2)

今回も1987年9月の蒲原鉄道の話題ですが、これは前回の第417話とは違う日の様子です。前回は、村松車庫の訪問だけでしたが、今回は沿線写真を撮影しました。 1.モハ61 (五泉:1987年9月) 今回も、五泉駅でモハ61が出迎えてくれました。その左側には磐越…

第417話 1987年蒲原:残された小鉄道

話しが前後しますが、前回の第415話、第416話の越後交通長岡線訪問の当日、午前中に蒲原鉄道を訪問しました。 新潟駅前のビジネスホテルを早朝に出発し、磐越西線直通の気動車で五泉へ直行しました。この頃はすでに新潟から蒲原鉄道の村松まで高速バスがあり…

第416話 1987-88年越後交通(長岡):ひっそりと目立たずに!(その2)

越後交通長岡線の西長岡車庫を訪問後、午後の貨物列車撮影のため、深沢付近の田園地帯に繰り出しましたが、天気が怪しくなってきました。 1.ED5101牽引の空車貨物 (深沢~富岡:1987年9月) 完全に曇ってしまいました。 午後3時過ぎ、刈入れの終わった…

第415話 1987年越後交通(長岡):ひっそりと目立たずに!

越後交通長岡線の話題は、第76話~第78話で1987年の春頃の様子を報告しましたが、同年9月にも新潟出張中の休日を利用して西長岡の様子を伺いに出向きました。 この日は午前中は蒲原鉄道を訪問し、土曜日だったので午後から西長岡に出向き、貨物列車を撮影し…

第414話 1989年銚子:調子が上がらない銚子!(その2)

銚子電鉄は常磐線沿線の私鉄と違い、他の私鉄と掛け持ちで訪問するには、やはり車がないと厳しいです。そして銚子は東京から中途半端に遠く、なかなか足が向かない場所でした。 今回も天気が悪くて撮影の調子が上がらなかった1989年3月の銚子電鉄の続きです…

第413話 1989年銚子:調子が上がらない銚子!

1989年3月に鹿島鉄道を訪問したついでに、銚子電鉄まで足を延ばしました。 鹿島鉄道と銚子電鉄とはかなり離れている様ですが、距離的にそれほど遠くではありません。車であれば霞ヶ浦沿いを南下すれば銚子に行き着きます。しかし鉄道の場合は、乗り継ぎが必…

第412話 1988年岩手開発:これぞ鉱石輸送の原点(その5)

岩手石橋で見られる様な鉱石の積込み作業は、かつては国内のいたるところで見ることができましたが、現在はここくらいしかないと思います。それだけ鉄道を使用した鉱石輸送が衰退したと言うことです。しかし、東日本大震災から立ち直った岩手開発鉄道には、…