ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧

第727話 1993年西鉄(北九州):微妙な共存(その2)

今回は西鉄北九州線の話題なので、筑豊電鉄には直接触れませんが、この両者は微妙に共存しており、話しがややこしいです。 1.筑豊2108A+B (西黒崎:1993年11月) 北九州線の黒崎車庫をのぞくと、筑豊2108編成がいました。この電車はちょっと前までは北九…

第726話 1993年西鉄(北九州):微妙な共存

かつて北九州市には、西鉄北九州線と言う長大な路面電車が存在しました。しかし、1985年から1992年にかけて段階的に路線縮小を行い、1993年当時は黒崎駅前~折尾間の専用軌道区間わずか5.1kmの路線になっていました。専用軌道とは言え、これだけの路線を残す…

第725話 1993年島原:島原大変!!(その4)

今回の訪問時に島原機関区にいなかった車両のうち、何両かは深江~加津佐間の分断された区間にいるはずです。分断区間は検修庫もなく、どうしているのか?。なにより、災害によって廃止に追い込まれてしまうケースもあり、それが心配でした。 1.D3703 (南…

第724話 1993年島原:島原大変!!(その3)

島原鉄道は路線長が78.5kmもある長大非電化私鉄でした。かつて国内の二大非電化私鉄と言えば、東の関東鉄道、西の江若鉄道と言われましたが、江若鉄道亡き後は、路線の規模や保有車両数から西の島原鉄道と言っても過言ではありませんでした。 しかし、規模が…

第723話 1993年島原:島原大変!!(その2)

せっかくの九州遠征でしたが、2日目の島原は、天気に恵まれませんでした。まだ10月でしかも九州なのに肌寒い一日で、走行撮影は絶望的でした。 よって、再び機関区訪問です。 冷たい天気のせいか、荒れる普賢岳のせいか、前日以上に重苦しい雰囲気が機関区に…

第722話 1993年島原:島原大変!!

1993年は仕事の都合で、私は広島に長期滞在していました。そのため、休日は西日本各地のローカル線巡りをしていましたが、時には九州にも足を延ばしました。 その頃の九州は、すでに地方私鉄はほとんど残っておらず、なかなか出向くきっかけがありませんでし…

第721話 1992年江ノ島:江ノ電90歳の頃(その3)

開業90周年を迎えた江ノ電ですが、新車の2000形導入や旧型車の延命化が一段落し、その後はしばらく車両の変化はありませんでした。一つ気になったのは、500形の処遇でした。 1.デハ303+デハ353、デハ501+デハ551 (極楽寺:1992年10月) この時点、500形はカル…

第720話 1992年江ノ島:江ノ電90歳の頃(その2)

江ノ電が間もなく開業120年を迎えますが、あれから30年も経ってしまったのかと思うと同時に、いつまでも新車と思っていた2000形は、導入されてからもう30年が経つという事です。当然私も30歳年を取ったわけですが、月日の経つのが恐ろしく速く感じます。 1…

第719話 1992年江ノ島:江ノ電90歳の頃

1992年当時の江ノ電の写真には開業90周年記念のマークを付けた車両が写っていました。と、言うことは、今年で開業120周年です。 現在の江ノ電は湘南を走るハイカラな電車ですが、30年前はちょうどハイカラな電車への脱皮が始まった頃でした。今回は1992年、…

第718話 1993年水島臨海:偉い人の苦言(その4)

今回は、水島臨海鉄道の地平区間の沿線撮影の様子です。 水島市街は高架化されていましたが、弥生から倉敷市側は昔ながらのローカル線でした。 1.キハ212+キハ203 (弥生~浦田:1993年12月) この頃の水島臨海鉄道は、沿線人口の増加によって利用客が増え…

第717話 1993年水島臨海:偉い人の苦言(その3)

水島臨海鉄道で見たかったのは機関車です。水島臨海鉄道はさすがに臨海鉄道だけあって、貨物輸送用に自前の機関車を保有しており、国鉄機にはないオリジナリティが伺えました。 1.DE701 (倉敷貨物ターミナル:1993年12月) 早速やってきたのは、JR機?で…

第716話 1993年水島臨海:偉い人の苦言(その2)

前話では、水島臨海鉄道のキハ20形の事ばかりでしたが、水島機関区にはキハ20形以外にも、怪しい車両が集結していました。その様子は、まさに露店の骨董品市の様でもあり、中にはお宝もある様な・・・・。 1.キハ356廃車 (水島機関区:1993年12月) さて…

第715話 1993年水島臨海:偉い人の苦言

「偉い人の苦言」は、それなりに影響力がありますが、時として炎上することも。 例えば4年程前の福井では、大雪で運行できなかったLRVを「クソみたいな電車」とののしった県議さんがいました。 この話はネットでも話題になりましたが、私は「ひどいことを言…

第714話 1993年新潟交通:軌道線亡き後(その2)

久々の新潟交通は、東関屋に続いて燕です。 この日は会社の同僚の車でドライブを兼ねて、一日中マイナーな鉄道車両を見て回りました。新潟交通東関屋車庫→新潟臨海藤寄車庫→赤谷興産のナロー→安田記念館の蒲原モハ51→新潟交通燕駅の留置車両と言ったところで…

第713話 1993年新潟交通:軌道線亡き後

新潟交通の話題は、当ブログ第591話~第594話で1991年5月の様子をお伝えしましたが、その後は仕事の都合で新潟交通を訪問する機会がなく、気が付けば1993年になっており、このブランクの間に白山前~東関屋間の軌道線が廃止されてしまいました。何とも無念で…

第712話 1980年岡山電軌:マイナーな路面電車博物館の頃(その2)

今回も岡電の続きですが、この日は下津井へ行くため、深夜の広島を夜行急行阿蘇号で出発し、早朝に岡山で降りました。 この日の目的地はあくまでも下津井でしたが、実は岡電に新車が入ったと言う情報があったので、まずはそれを見に東山へ向かいました。 1…

第711話 1979-80年岡山電軌:マイナーな路面電車博物館の頃

路面電車の博物館と言えば、先ずは広電ですが、かつて岡電は広電とは対照的にマイナーな路面電車博物館でした。マイナーとは失礼な表現ですが、広電の場合、大阪、神戸、京都、福岡などの大都市で走っていたメジャーな路面電車を多く保有していましたが、岡…

号外:令和4年

明けましておめでとうございます。 令和も4年目となりましたが、こんどはオミクロンで相変わらず自粛モードです。さて、昨年の年明けはボロボロの都電乙2の修復に期待を込めてスタートしましたが、今年は、乙2の気になるその後の近況報告からスタートです…