さて、成人の日は2連が走らず不発に終わりましたが、先が無い野上電鉄です。よって、1週間後に再び北山へリベンジに出向きました。今度は祝日ではありません。ちゃんと2連が走る土曜日でしたが、相変わらず寒い朝でした。 1.デ13 (北山~野上中:1994年1…
祝日だったこの日は、2連が走らず、落胆しつつも北山から重根まで歩いて撮影を続けました。しかし、沖野々、紀伊阪井あたりは住宅街を通るため、良い撮影場所がありません。走る電車も面白くなく、撮影意欲もなくなります。 1.デ11 (重根~紀伊阪井:1994…
1993年の秋頃から急に仕事が忙しくなり、野上電鉄にもなかなか出向くことが出来ませんでした。しかし、年が明けて1994年となり、野上電鉄の廃止まで、あと2ヵ月半になった頃、奮起して野上谷へ向かいました。この日も海南の常宿で前泊し、早朝から出庫の始発…
さて、今回は緑色のイモムシではなく、もう少し前の赤いイモムシの頃の写真があったので、その頃の他の車両と合わせて少々お伝えします。これらの写真も、揖斐・谷汲線へモ510形を撮影に出向いた途上で偶然撮ったものです。よって、まともな写真ではありませ…
この日は、3400系撮影のリベンジではありましたが、気が付けば名鉄電車の実態撮影となり、濃厚な一日となりました。それまで名鉄電車のことは、揖斐・谷汲線以外は全く無知だった私にとって、ちょうど良い機会となりました。そして、今頃になって当時撮影し…
午後の日射しもようやく落ち着いてきました。これからが撮影の本番です。3400系もまだまだ走ります。 1.ク2401+モ3401+モ812 (善師野~西可児:1993年8月) ところで3400系はさておき、気になるのは後ろにぶら下がるモ800形です。まだこんな吊掛の両運車…
名鉄広見線は、犬山から分岐する支線ですが、新可児までは犬山線から直通する列車も多く、意外にもいろんな電車が結構頻繁に走っていることを、この時知りました。 1.ク2401+モ3401+モ812 (西可児~可児川:1993年8月) さて、本題の3400系ですが、この日…
第1079話では、「イモムシ」こと3400系を見るため、わざわざ広見線の御嵩まで出向きましたが、その甲斐もなく空振りでした。そこで、後日再び広見線を目指しました。この日は事前に「イモムシ」の運用を確認していたので空振りは避けられました。 1.モ6249…
この頃、吊掛車を追い掛けて、名鉄揖斐・谷汲線へよく行きました。揖斐・谷汲線は大名鉄の路線ですが、恐らく投資が追い付かなかったのでしょうか、浮世離れした大正時代の車両が集う名鉄の老人ホームでした。しかし、古物好きの私にとっては、この上ない存…
この日の富山平野は一日中穏やかな秋晴れとなり、結局夕方まで立山線の下段~釜ヶ淵間で撮影を続けました。 1.モハ10026+モハ10025 (釜ヶ淵~下段:1994年10月) この日は、もう何度もこの10020系を撮影しましたが、意外とラッキーだったのかも知れません…
この頃の地鉄電車は、14710系がなくなったので、鉄道線の旅客車両はすべてクロスシート車でした。やはり観光輸送に重点が置かれていたようです。元京阪特急の10030系の大量導入により、オリジナルである初期のカルダン車は少し影が薄くなりましたが、幅広く…
この日の立山線には、モハ14760形、モハ10020形が運用されていましたが、運良く、いずれも雷鳥塗装でした。やはり、地鉄の電車は雷鳥塗装が良く似合います。 1.モハ14762+モハ14761 (釜ヶ淵~下段:1994年10月) モハ14760形は地鉄の開業50周年を記念して…
1994年頃に撮影した写真を見ると、琴電や野上電鉄の写真が圧倒的に多いです。しかし、意外にも富山地鉄の写真も結構撮っていました。琴電や野上には古い吊掛車を求めて何度も通いましたが、富山地鉄はすでに古い車両もなく、なぜ写真が多いのか?。よく考えて…
いつの間にかノッポELは、どこかに行ってしまいました。先程見かけたBLの「整-6」が、単機回送となって動き出したので追い掛けてみました。 1.BL「整-6」単機回送 (春採坑:1986年8月) 邪魔にならぬ様にBLの後を追いましたが、BLは結構速くて…
ここまで来ると、どうしてもあのゲテモノに逢いたくなります。春採坑の土場にお邪魔しました。 この日の土場はなんだか閑散としていました。早速事務所に撮影許可を頂いたのですが、視界に入ったゲテモノは65号だけでした。他のゲテモノ達はどこにいるのか?…
太平洋炭鉱の話題は、第150話~第152話、第317話~第320話でお伝えしましたが、画像が少し残っていましたので追加でお伝えします。これは1986年8月に学生時代最後の夏休みを利用して渡道した際に撮影したものです。この撮影旅行では三菱石炭鉱業鉄道や廃止対…
この日の二日前は、雨の降るなか、このあたりをウロウロして撮影を行いました。雨の日はどうしても列車に近づいての撮影になりがちですが、この日は天気が良かったので、列車から少し離れて風景を入れた撮影を行いました。 1.モハ2115 (小舟渡~越前竹原…
急行列車が行ってしまうとラッシュも終わりなのか、もう2連は現れなくなりました。ここからはもう面白くありません。しかし、この日は天気が良かったので、しぶしぶ阪神電車の撮影を続けました。 1.モハ2203 (下志比~東古市:1994年5月) 日中はこの電車…
ローカル線と言えども、越前本線ほどの規模となれば、ラッシュ時の運用は相当な列車本数となります。特に昼間は動かない2連が一斉に走ります。 1.モハ2110+モハ2109 (下志比~東古市:1994年5月) 福井行きは2連が続けてやって来ました。本日2本目の2連は…
1994年のGWは本腰を入れて京福電鉄越前本線の撮影を行いました。その様子は、すでに第974話~第978話などでお伝えしましたが今回はその続きで、越前本線の朝ラッシュの様子です。朝ラッシュを撮影した理由は、2連が走るからです。 1.モハ3002+モハ3001 (…
今回は1994年当時の下津井駅構内跡に残る保管車両の様子をお伝えします。下津井駅構内跡は、敷地の全周をフェンスで囲まれており、フェンスの中には入れませんでした。よって、保管車両に近寄ることが出来ず、写真は全てフェンス越に望遠で撮影したものです…
続いて下津井電鉄の廃線の様子です。東下津井から下津井間は長い勾配区間があり、その部分の線路は並行する道路から離れていました。 1.下津井電鉄沿線地形図(引用:国土地理院1/25000地形図「下津井」平成3年発行) 廃線を歩くことも可能でしたが、下津…
1994年当時は琴電の旧型車を求めてよく高松へ向かいました。そのほとんどは、瀬戸大橋線を利用していましたが、ある時、車窓からチラリと下津井電鉄の廃線が見えて、そう言えば廃止後の車両がどうなったのか非常に気になりました。そんなわけで、後日琴電撮…
広電2000形を追い掛けて宮島線に出向きまたが、気が付けばいつもの通り阿品(現在の東阿品)です。まあ他に良い撮影ポイントがないので仕方ありません。しかし、ここは結構まともな撮影ポイントです。このあたりは、午後から広島湾をバックに順光で撮影がで…
この頃の2000形は日中は走行する姿を見る機会が減りましたが、荒手車庫に行けばいつでも見ることができました。日中の荒手車庫は軽快電車が出払って残った2000形や3000形により1980年代を彷彿させる光景が見られました。 1.2005+2004 (荒手車庫:1994年4…
私たちの世代にとって広電の電車で最も馴染み深いのは2000形ではないかと思います。高度経済成長期に登場した小さなピンクの電車は、原爆被災からの復興を象徴するような明るい電車でした。そしてヒロ電ボロ電を脱却する広電の顔でした。 1.2004+2005 (原…
この頃の有田鉄道は、1日5往復走りましたが、この日は午前中の撮影となりました。午前中は3往復走りますが、午前中とは言え走行は朝なので、乗って撮影するとなれば2番列車以降の2往復の撮影となります。 1.ハイモ180-101 (御霊~下津野:1995年1月) 最…
紀州鉄道に続き今回は同じ頃の有田鉄道です。紀州鉄道は日中も頻繁に列車を走らせていましたが、こちらの有田鉄道は訪れる度に列車本数が減り、乗るのも撮影するのも難しい鉄道になってしまいました。おまけに、デカいキハを走らせるのがもったいないので、…
今回も紀伊御坊から御坊に向けて歩きながらの撮影です。紀州鉄道は、路線長が2.7kmしかなく、沿線撮影がまともに出来るのは御坊~学問間の田園地帯くらいなので、いつも同じ場所で同じような撮影になってしまいます。 1.キハ603 (学問~御坊:1995年1月…
4年ぶりの紀州鉄道訪問です。しかし、何の変化もありません。お隣の有田鉄道は、とうとう経費節減が限界に達して、減便に踏み切り、燃費の悪いキハを諦めて中古のレールバスを導入しました。それを見ていた紀州鉄道ですが、こちらも厳しい状況でありながら運…