ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1話:1987年新潟交通 晩秋の越後平野

はじめまして。55歳のサラリーマンです。

若い頃、古い鉄道車両を求めて各地を彷徨していました。しかし、2000年頃を境に旧型車が一掃され、私の趣味も自然消滅。やがて自身も旧型車のごとく老朽化を自覚するようになると、かつての旧型車の記憶が急に蘇り、

そう言えばあの頃撮った写真は・・・・

気が付けば、私以上に写真やネガの劣化が著しく、これはピンチ!!

慌ててフィルムスキャナーを購入し、それから10年も掛け、家族の冷たい視線を受けながらも、夜な夜なノートパソコンでスキャンを継続しました。

この10年いろんなことがありましたが、スキャンだけはブレずに完遂!!

しかし、誰も褒めてくれません。確かに何の為のスキャンなのか?言われるまでもなく、世の為人の為には、何も役立っていない。これが戦時中なら、私は間違いなく非国民として捕らわれたでしょう。

そんなわけで少々ナーバスになっていた時に、「このままスキャンデータを眠らせておくのはもったいない」と理解ある友人からブログを進められ、ようやく重い腰を上げることになりました。

とは言うものの、ブログは初めて、膨大なデータを控えて何から始めて良いものか、悩みは尽きません。

いつまで続くか分かりませんが、鉄道に興味のある方や、同じような心境の方々にお付き合い頂ければと思っています。

 さて、前置きが長くなりましたが、とりあえず第1話は1987年の新潟交通電車線です。なぜ、新潟交通なのかと言うと、私が勤めていた会社の工場が新潟にあり、当時新潟交通の沿線に近い会社の寮に住んでいたので、写真を多く撮ることができたことと、当時は新潟らしい田園風景が展開した燕~新飯田間が存在しており、今は亡き新潟交通電車線の記録を是非とも見て頂きたかったからです。

 1.弥彦山をバックに早朝の3連。(燕~灰方間:11月)

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当時は3連も走っていました。ようやく朝日が上がり刈取りの終わった越後平野はそろそろ冬支度の季節です。新潟交通は車両も沿線風景もつまらないとよく言われました。確かにモハは、車体更新を終えた日車標準タイプが殆どで派手な車体広告付き。しかも列車本数の多い新潟寄りは中ノ口川の土手にへばり付いて走るので、まともな写真を撮れる場所が殆どありません。しかし、燕寄りは雄大な田園地帯で素晴らしい風景が展開していました。

2.古豪モハ16(燕~灰方間:11月)

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 閑散時間帯になると単行のモハ16がやってきました。この車両だけが小田急の旧車体を維持した唯一のモハです。ワンマン化されていたので他のモハとは共通運用でしたが、燕~月潟間廃止時に他のモハより早く廃車となりました。当時は地方都市のJR都市型ダイヤに影響されてか、新潟交通も列車運行本数が増えた時期で燕~六分間の区間運転が存在しました。

3.秋空とモハ24(燕~灰方:11月)

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車両は車体広告のないモハ24です。 縦位置の写真は苦手でしたが、何とか空を大きく入れたくて縦位置にチャレンジしました。

4.モハ24(燕~灰方間:11月)

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この日は車体広告がないモハ24が燕~六分間の区間運用に入っていたのでラッキーでした。車体広告がないとスッキリした写真が撮れます。

今回は以上の4ショットで終了です。生のスキャンデータはtiffで容量が大きく、そのままでは投稿できないので調整が結構面倒です。よって、今後も少しづつの投稿になります。新潟交通はまだ続きますが挫折しないよう頑張りたいと思います。