ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第4話:1987年新潟交通 当時の車両

新潟交通の電車については、すでに多くの文献で写真や車歴が紹介されていますが、1987年頃の車両写真を数回に分けて投稿します。1987年頃とは言っても、その20年ほど前からラインナップは殆ど変わっておらず、結局一部のクハを除いて1999年の全線廃止まで同じ顔ぶれでした。

1.重鎮モハ16(東関屋:1987年10月)

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新潟交通のモハの中で唯一旧態然としていたモハ16です。他のモハは1960年代に日車の標準車体に更新されましたが、このモハ16だけが仲間外れ?というか、なぜか小田急デハ1409の中古車体に載せ替えられました。しかし他のモハ同様にワンマン化されてよく働いていました。新潟交通ではクハも小田急1400系の車体に載せ替えを行っており、時々モハ16が同系列車体のクハとコンビを組んで走っていました。私はその小田急旧型コンビを撮影したくて休みの日は新潟交通沿線を徘徊していましたが、チャンスは滅多にありませんでした。残念なのはモハ16の3連が撮れなかったことです。

2.お宝モワ51(東関屋:1988年1月)

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かつてはどこのローカル私鉄にもお宝車両がありました。新潟交通にも開業以来からの生え抜きで、しかも原型を留めたモワ51がいました。新潟交通はかつて貨物輸送も行っていましたが、機関車を保有せず、このモワ51が機関車代わりで貨車を牽引していました。おそらく勾配がほとんどない越後平野なので、これで十分役に立ったのでしょう。しかし、貨物が廃止された以降は実質失職。かろうじて東関屋構内の車両入換と冬場の除雪列車の動力車として全線廃止まで健在でした。写真は冬バージョンで、出っ歯の様な頑丈なスノープラウを付けています。新潟の雪はあなどれません。

3.ガソリン動車の成れの果てクハ37(東関屋:1978年10月)

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昭和の晩年、新潟交通にはこんな古めかしい車両がまだいました。1934年新潟鐵工所製、元鉄道省の機械式気動車キハ41000系(41080)の成れの果てです。実は私は古い気動車マニアです。こんなのがいるから、ローカル私鉄巡りを続けたわけです。ちなみに、お隣の蒲原鉄道にも1両同様なクハ10がいました。しかしこちらのクハ37は、1972年にドア配置の変更や前面2枚窓化で、蒲原に比べてインパクトのある風貌になりました。そういえば、鹿島鉄道にも同じ生い立ちのキハ411+412という似たような前面の車両がいましたが、あちらは気動車、こちらは電車の制御車。ところでクハ37は1989年に廃車となりました。55年の生涯でしたが、気動車だったのはわずか10年。国鉄を廃車となり、身軽なクハとして新潟交通に転身したのが1952年なので、大半を新潟交通で暮らしたわけです。キハ41000系は軽量設計だったため、クハやサハとして各地に転身できたわけですが、55年の生涯は大往生でした。

4.小田急ボディーの異端車クハ36(東関屋:1986年10月)

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新潟交通のクハは1967年から1970年にかけ、古い雑多なクハを改造名義で小田急デハ1400形、クハ1450形の中古車体に載せ替えて、新たなクハ45形として大半が生まれ替わりました。しかし、なぜかクハ36は同時期の車体更新であったにもかかわらず、旧車両の名義を引継ぎ、車体は小田急クハ1350形(1352)に載せ替えとなりました。一見して他のクハと変わりませが、車体長が700mm短く、生い立ちは小田急の前身である小田原急行鉄道の、1927年藤永田造船所製クハ151形と言われています。結局、クハ36は異端車?だったのか、他の小田急グループのクハより早く、1989年に廃車となりました。