ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第7話:1987年新潟交通 当時の車両(その4)

新潟交通は日車の標準車体でモハを車体更新した後、しばらく車両に変化はありませんでしたが、1985年にクハ39の廃車と入れ替わるように、小田急から廃車となったデハ2229+デハ2230を購入し、モハ2220形(モハ2229+モハ2230)としてラッシュ時の運用に充当しました。

1.モハ2230+モハ2229(白山前:1987年10月)

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モハ2220形は新潟交通で唯一のカルダン車でした。2両固定編成で貫通路付き、当然ワンマン化されていました。しかし、車号も塗装色も小田急のまんま!!。これが併用軌道上や田園地帯を走行するわけですから参りました。種車小田急デハ2200系富士急行にも売却されました。富士急の方は、勾配路線で老体を酷使している様に見えましたが、新潟の方は排障器を付けて、のんびり余生を送っていた感じでした。

2.モハ2220形車内(東関屋:1987年10月)

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モハ2220形は車内も小田急そのまんまですが、運賃箱や整理券発行機などのワンマン機器が設置されていました。この編成は新潟交通で最大の輸送力を誇りましたが、路線短縮や輸送需要の低下、おまけにMM編成では不経済となり、晩年は検査切れのまま廃線を迎え、廃車となりました。

3.キ116(東関屋:1987年9月)

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新潟交通で忘れちゃいけないのがモワ51の冬季の相棒であるキ116です。なにぶん雪国なのでこのくらいしっかりした除雪車がないと冬は越せません。キ116は1968年に国鉄から譲受したもので、1932年鉄道省大宮工場製です。結局廃止まで在籍し新潟交通の最古老となりました。

さて、1987年頃の新潟交通電車線の主役は以上となりますが、この他にも以下、補足させて頂きます。

4.クハ39(東関屋:1984年11月)

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モハ2220形と入れ替わりで廃車されたクハ39の写真を撮っていましたので追加します。この写真はいわゆるインスタントカメラによる撮影なので画像が荒く、日付も入っていますがご了承願います。クハ39は元西武のクハ1214(←武蔵野サハ2321:1927年日本車輌製)で、新潟交通には1963年に入線しました。新潟交通では異色の元西武車でしたが、ほぼオリジナルのまま使用されました。

5.幻のクハ(越後大野:1985年4月)

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これは偶然の発見でした。蒲原鉄道の加茂~村松間廃止の翌日に立ち寄った新潟交通の越後大野駅で、得体の知れない車両を撮影しました。自宅に帰って調べると、どうやら越後交通長岡線が1975年に旅客営業を廃止した際、新潟交通が購入したクハ2両のうちの1両です。すでに10年の歳月を経過しており、かなりボロボロでした。この車両の購入経緯がよく分かりませんが、恐らく種車小田急1400系であり、クハ45形と同じ生い立ちであったことから、未更新のクハ37などの更新用に購入されたのではないかと思われます。しかしながら、いつのまにかいなくなってしまい、幻のクハとなってしまいました。

6.レトロな移動機

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この移動機は無番で車籍はありませんでしたが、電車と同じカラーリングで気になる存在でした。国鉄制式のC5形という移動機で、全国にばら撒かれたうちの1両です。現車の銘板によると昭和27年秋田木材㈱製となっています。貨物のあった頃はそれなりに活躍していたと思われますが、写真の1984年頃は失職の様で、東関屋で保線車両といっしょに留置されていました。1987年頃までは車庫の片隅にいた記憶がありますが、いつのまにかいなくなっていました。

以上で新潟交通の車両編は一段落です。第1話から第7話まで新潟交通を続けてきましたが、この続きはいづれ再開するとして、次回は他の路線に移りたいと思います。