ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第8話:1990年高松琴平 古い車両を求めて!

今回から1990年代の琴電です。

私が琴電に初めて出向いたのは意外と遅く、1990年の夏で撮影のためではなく、金毘羅参りのついででした。今思えばもっと早い時期に出向くべきでしたが、私にとって琴電は決してローカル線ではなく、四国の大手私鉄という先入観があったことと、私が好む気動車ネタが全くなかったことが原因でした。しかし、ついでで立ち寄った仏生山車庫で見たレトロな車両群に誘発され、スイッチが入ってしまいました。それ以降、2000年まで毎年数回は琴電通いを続けることになりました。

1.駅ビル化前の瓦町に並ぶ20形元近鉄車 21,23(瓦町:1990年11月)

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写真は駅ビル化前、まだ青空が拝めた頃の瓦町駅です。ここは3路線が合流するため、一日中ひっきりなしに電車が発着し、ラッシュ時にここに居れば琴電の殆どの車両を見ることができました。当時の琴電琴平線に元京急1000系の導入が始まった頃でしたが、長尾線志度線は大型車が入線できない理由で、まだまだ雑多な小型車の天下でした。そして琴電で感心なことは、古い車両なのにしっかり整備されていることと、廃車寸前の車両を突然蘇らせてしまう技能を有していることです。だから、大正時代の車両だろうが、各地を転々としてきた中古車だろうが、いまだに健在でいられるのです。

2.南武の買収国電850 850+65 (水田~西前田:1990年12月)

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琴電は言わずと知れた旧型車の博物館的存在です。しかし、すべての車両がいつも走っているとは限りません。当時長尾線志度線では専ら30形(元京急230形)や琴電オリジナルの1000形、3000形、5000形が主力でした。それだけでも十分に旧型車を堪能できましが、私のターゲットはその他のレアな中古車達でした。レアな車両は朝夕のラッシュ時にしか登場せず、日中は殆ど車庫で昼寝。よって、これらレアな車両の走行撮影は朝夕が勝負となりますが、せっかく撮影するなら、お目当ての車両を先頭に順光で撮りたいと思うのが人情です。時間帯と陽の向き、そして何より狙った車両が運用に入るかが毎回の賭けでした。しかし、年に数回の訪問でしかもぶっつけ本番では、期待通りの撮影はまず困難。それが分かっていても、なんとか撮りたくて、かなりの無駄足を踏みました。写真の850(注1)もその1両です。当時、志度線に入るか、長尾線に入るか、その日の運!。偶然日没前に捉えることの出来たのが上の写真ですが、辛うじて前面に斜陽が射す程度。満足できず、次回こそは・・・・。これの繰り返しが延々と続きましたが、850は1998年に廃車になってしまいました。

(注1)850の車歴:琴電850(クハ)←国鉄クハ6012←南武クハ253←南武モハ101:1926年汽車会社製

3.川造の890 335+890(沖松島~春日川:1990年11月)

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志度線の沖松島~春日川間と春日川~潟元間には午後屋島をバックに順光で撮影できる橋梁がありました。この場所は私が好きな撮影地の一つですが、唯一の難点は、いつもクハが逆向きだったことです。運用の都合、クハはいつも志度寄りに連結されたので、夕方はクハの前面に陽が当たりません。写真は元山形交通モハ4だった890(注2)を連結したMT編成ですが、前面が撮れず残念!。ところで、890は全国各地に居た川造タイプの生き残りでした。元々西武のモハでしたが、山形交通高畠線に転じた後、1976年から高松で3度目のご奉公となりました。琴電導入当初はモハでしたが1983年にクハ化され、1998年に廃車されました。

(注2)890の車歴:琴電890(クハ)←琴電740(モハ)←山形交通モハ4←西武クハ1156←西武モハ156←西武モハ555:1928年川崎造船

4.リベンジの890 335+890(春日川~潟元:1990年12月)

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1990年には、何かに取り憑かれたように8月、11月、12月と3回も琴電を訪問しています。12月には逆向きで屋島は入りませんが890の先頭写真を撮影でき、リベンジを果たしました。完全に自己満足です。

なお、現在はいずれの橋梁も補強工事と桁の架け替えを行い、下路式プレートガーダー橋になってしまったので、側壁が邪魔でこのように列車の全体を撮ることはできません。

5.南武の買収国電81(今橋:1990年11月)

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琴電の魅力は古い車両に尽きますが、個人的には各地のローカル線から寄せ集めた車両に大変興味がありました。例えば、今は亡き、東濃鉄道駄知線、山形交通高畠線・三山線、玉野市営などの中古車です。写真の81(注3)は元南武鉄道の買収国電ですが、琴電には廃止となった東濃鉄道駄知線から入りました。昭和元年製で、南武鉄道が開業時に準備したモハ100形のトップナンバーです。なお、東濃鉄道駄知線からはモハ3両とクハ2両が一挙に琴電入りしましたが、1990年時点でモハである71,72(71は休車中)と、クハである81の計3両が在籍し、72と81がコンビを組んでいました。しかし、いずれも小型車だったため主力とはならず、なかなか走行写真が撮り難い車両でした。数ある琴電の珍車のなかで、私にとっては、81が一番の”お宝車両”でした。

(注3)81の車歴:琴電8(クハ)1←東濃クハ201←国鉄モハ101←南武モハ101:1926年汽車会社製

6.元東武の中古車880 (仏生山:1990年8月)

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東武の中古電車と言えば、大昔の新潟交通か、ひと昔前の上毛しか思い当たりません。しかし、琴電にも東武が居ました。琴電は1947年に東武からモハ2両とクハ1両を購入しましたが、そのうちクハである880(注4)のみが、写真の様に仏生山の側線に残存していたのです。かなり劣化しており、近々廃車になるのかと思っていましたが、長らく放置の後、1996年に突然新車並みに整備されました。ただし予備車扱いで営業に出ることはなく、その後も仏生山で放置が続き、引退直前にほんの少しだけ運用されました。実際に走っているところを偶然目撃したのですが、残念なことに写真は撮っていません。880はクハとして琴電に入りました。その後一時期モハに改造されたり紆余曲折の生涯でしたが、2000年まで生き延びました。

(注4)880の車歴:琴電880(クハ)←琴電730(モハ)←琴電910(クハ)←東武クハ1201:1929年日本車輌