今回は申し訳程度ですが琴平線車両の話題です。
琴電訪問時はどうしても長尾線・志度線が優先されてしまい、琴平線は殆ど無視状態でした。当時の琴平線は元京急1000系の1080形を増備中でしたが、主力は名鉄、阪神、三岐から入線したグループと元京急600系の1070形でした。しかし、琴平線にも少数の珍車が存在しました。
1.元琴電ロマンスカー1010形他4連 (瓦町:1990年11月)
琴電にはかつて金毘羅山の観光用に”こんぴら号”という急行が存在しました。当初は急行用に10000形という2連のクロスシート車が1編成いましたが、その増備として1960年に2連の1010形1011+1012が登場しました。この1010形は鋼体を帝国車輌で製造し、5年も掛けて自社で艤装を行いました。登場時は正面2枚窓の非貫通で、当然クロスシート車でしたが、やがて急行運用がなくなると1979年に前面貫通化、ロングシート化、他車との併結のため30形から外された機器を流用しHL化されました。その後1983年にカルダン化されましたが、非冷房のためラッシュ時の限定運用に充当されました。この車両は自社製の元ロマンスカーであり琴電も特別の思い入れがあった車両ですが、1200形の導入に伴い、2003年に廃車され、あっさり解体されてしまいました。
2.元阪神ジェットカーの両運車1061 (仏生山:1990年8月)
琴電には阪神のジェットカー?もいました。琴電と阪神の関係は1960年代、阪神の”喫茶店電車”881形であった2代目30形、50形導入など無縁ではありませんでしたが、1977年に琴平線に阪神のジェットカーもどきが導入されました。”もどき”とは、車体のみジェットカーで足回りは琴電にて3代目30形から外された機器と台車で構成された吊り掛け車だったからです。まずMT2連の1050形1051+1052の2両が導入され、1981年にはMT2連の1053形1053+1054と両運車の1060形1061,1062の4両が増備されました。増備車が1050形ではなく1053形となったのは、1053+1054は琴電が手持ちの部品でカルダン車化したためです。1984年には1051+1052もカルダン化されましたが、1060形は吊り掛けのままでした。1060形は増結用だったので両運車でしたが阪神時代も両運車でした。阪神にはジェットカーの両運車がいたわけですが、今の阪神電車からは想像できません。
写真は両運車の1061(注1)ですが、阪神時代の中央扉を埋めて導入されました。同じような形態の元ジェットカーは京福越前本線(現えちぜん鉄道)にも存在しました。1061は2005年に廃車、1062は2006年廃車。
(注1)1060形の車歴
3.元三岐120形の1015+1016 (仏生山:1990年11月)
琴電では1982年に琴平線の輸送力増強と近代化のため、三岐鉄道からモハ120形、クハ210形を購入し、1010形の続き番号で1013形1013~1017としました。三岐は輸送力増強で西武の20m車を増備してモハ120形、クハ210形を手放したわけですが、この三岐の車両はカルダン車であったものを琴電では吊り掛け車にしてしまいました。これは軌間の違いで台車交換を行った結果、やむを得ないことでした。しかし制御器は自動加速のままでした。琴電ではHL車とAL車が連結運転可能となっていました。1013形は奇数車がモハで偶数車がクハでした。よって、モハが3両、クハが2両で車号の順番にコンビを組んでいたので、余ったモハの1017は珍車950と組んでいました。なお、1015+1016のみ1987年にカルダン化され2005年に廃車されましたが、その他は1997年に導入された元京王5000系の1100形と入れ替わりに廃車されました。
←琴平:1013形奇数車(Mc)+1013形偶数車(Tc):築港→
<琴電車号> <三岐車号と製造履歴>
・1013 + 1014 ← モハ120(1959年東洋工機製)+クハ210(1959年東洋工機製)
・1015 + 1016 ← モハ121(1960年東洋工機製)+クハ211(1960年東洋工機製)
・1017 ← モハ122(1963年東洋工機製)
4.豊川の買収国電810+820(仏生山:1990年12月)
琴平線にも買収国電がいました。その車両は豊川鉄道のクハ100形を前身とする元国鉄クハ5610形の810+820(注2)です。文献によれば琴電が輸送力増強の窮地を打開するため国鉄の廃車に目を付けたそうで、1962年に購入したものです。琴電では2両ともクハとして導入し8000形810,820として登場。当初は1000形や3000形とコンビを組んでいましたが、1964年に820がモハ化及び方向転換された以降は、MT編成の820+810となりました。何分老朽化した車両であったことから、事故や故障をきっかけに大掛かりな車体更新を行い、ようやくまともな電車になりましたが、専らラッシュ時の限定運用に充当され2003年に廃車されました。
(注2)8000形810+820形820の車歴
・琴電810(クハ)←国鉄クハ5610←国鉄クハ101←豊川クハ101:1940年木南車輛製
・琴電820(モハ)←琴電820(クハ)←国鉄クハ5611←国鉄クハ102←豊川クハ102:1940年木南車輛製
5.国鉄旧客の台枠を流用したクハ950(瓦町:1990年12月)
琴電の傑作であり、超珍品車両だったのが950でした。950は1966年自社工場製のクハですが、なんと国鉄旧型客車オハ31137(1928年川崎造全製)の台枠を流用して車体新製した車両です。その証しは端梁部のアンチクライマ、三つ折りの妻面、客車時代の車端デッキ部分の絞りに見られます。この客車台枠流用車は950と960の2両在籍しましたが、950が生き残り1017とコンビを組んでラッシュ時の限定運用に充当され、1997年に廃車されました。写真は年末輸送で珍しく昼間の定期運用の様子です。ところでこの車両は、当初種車の鋼体をそのまま流用して、車端デッキ部に運転室を設ける計画だったそうです。もしそれが実現していたら、ダブルルーフのとんでもない車両になっていたと思います。
6.琴平線主力車元名鉄3700系の1020形 1027+1028(仏生山:1990年8月)
当時、琴平線の主力は元名鉄3700系(モ3700形+ク2700形)の1020形MT編成でした。1968年~1969年にかけて琴平線の車種統一の目的で一挙に8編成16両が入線しました。名鉄では3700系が旧型木造車の機器を流用した更新車であったことから、出力が小さいことを問題視し、早々と売却したわけですが、琴電でも出力が問題となり、元京急デハ230形の主電動機に交換するなどの対策を施しました。琴電ではこの名鉄3700系を更に購入して車種統一を進めるつもりだった様ですが、当時オイルショックで名鉄は車両不足に陥り、とても3700系を手放せる状況ではなくなってしまい、琴電1020形の増備はストップしてしまいました。その後1985年には1029+1030、1986年には1031+1032がHL制御のままカルダン化されました。1990年時点で7編成14両が在籍しましたが、冷房車1080形の増備とともに淘汰され、最後まで残った1031+1032は2004年に廃車されました。
←琴平:1020形奇数車(Mc)+1020形偶数車(Tc):築港→
<琴電車号> <名鉄車号と製造履歴>
・1021 + 1022 ← モ3703(1957年日本車輌製)+ク2703(1957年日本車輌製)
・1023 + 1024 ← モ3701(1957年日本車輌製)+ク2701(1957年日本車輌製)
・1025 + 1026 ← モ3718(1959年日本車輌製)+ク2718(1959年日本車輌製)
・1027 + 1028 ← モ3705(1958年日本車輌製)+ク2705(1958年日本車輌製)
・1029 + 1030 ← モ3712(1958年日本車輌製)+ク2712(1958年日本車輌製)
・1031 + 1032 ← モ3713(1959年日本車輌製)+ク2713(1959年日本車輌製)