1990年当時の琴電で、忘れてはならないのが地平にあった瓦町駅です。今は立派な駅ビルになってしまいましたが、当時は平面構成で乗り換えは線路を横断していました。そして琴平線が1,2番線、志度線が3番線、長尾線が4,5番線に発着しており、現在と違って長尾線の列車は瓦町が終点で、志度線は瓦町でスイッチバックして高松築港まで乗り入れていました。そして長尾線と志度線の車両は共通運用でした。
1.3番線の志度線3000形2連(瓦町:1990年11月)
志度線の高松築港行きは瓦町でスイッチバックして琴平線に乗り入れます。乗務員さんが慌ただしく前後移動するのが瓦町ならではの光景でした。
2.5番線に佇む長尾線の待機車(瓦町:1990年11月)
当時の長尾線は瓦町が高松寄りの始点であり終点でした。長尾線は結構列車の運行本数が多いのでラッシュ時は2面のホームがフル稼働でしたが、閑散時間帯は4番線だけで十分。空いた5番線は昼寝車両の留置場所でした。
3.3番線志度線と4番線長尾線の古典車両並び写真(瓦町:1990年11月)
乗り換えは線路を横断!!。よって線路で平然と写真が撮れました。でもこんなところで写真を撮っている人は私以外にいませんでした。ちなみに今はこんな写真は撮れませんし、撮ってはだめです。
6.今橋車庫で車体清掃中の21(今橋:1990年11月)
5.今橋車庫で列検中の21と81(今橋:1990年11月)
当時の今橋車庫は古典車両の宝庫でした。レアな車両も休車でない限り3日に一度は列車検査があり動きます。形式写真を撮るならこのチャンスを逃してはいけません。そのために高松に3日間滞在したこともありました。写真は列車検査中の21と81の並びです。にこやかな表情の21と、しかめっ面の81が対照的です。
6.ある日の入場車両 1035,21,760とデカ1(仏生山:1990年8月)
古い車両を求めて、どうしても長尾線、志度線に足が向いてしまいました。しかし、たまに仏生山を覗くと、ここには定検中の車両がいました。当然ですが古い車両ばかりです。当時はこれが当たり前の光景でした。
さて、私が見てきた1990年当時の琴電を報告させて頂きましたが、今回で一段落です。毎回車両の蘊蓄が長くなり、反省しています。車歴については既に多くの文献が、先輩方から報告されており、いまさら私が繰り返す意味はありませんがご容赦ください。
琴電には1991年以降も2000年頃まで通い続けました。まだまだ膨大な写真データがあり、今後どのようにご紹介するか、まだ思案中です。そんなわけで次回は、またどこかのローカル線に移りたいと思います。