ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第17話 1978別府 山陽路の非電化私鉄早回り

当時、山陽本線沿いにはまだいくつかの非電化私鉄が存在しました。その中でも別府は別格でしたが、その他も見過ごすわけにはいきません。しかし小遣いを極力使わずに実行しようとなれば、必然的に早回りとなってしまいました。1978年の中学3年生になる春休みには広島を夜行列車で出発し、早朝の別府から片上、岡山臨港、水島臨海を1日でめぐる強行スケジュールを実行しました。

まずは別府からですが、広島駅を深夜に停車する急行「阿蘇号」に乗車し、日の出前の姫路で降りました。「阿蘇号」は14系座席車でしたが、悪評の簡リクだったので、殆ど眠れませんでした。そして山陽電車で別府へ。まだ早朝なので別府港の機関区に出向く前に、別府鉄道初の沿線写真にトライしました。

 

1.野口線の始発列車 キハ2 (別府港~別府口:1978年3月)

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2.始発の折返し キハ2 (別府港~別府口:1978年3月)

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この日は待望のキハ2が運用に入り、眠気も吹っ飛びましたが、相変わらずのインスタントカメラなので、ピントも露出も甘く画像がイマイチです。

 

3.待望のキハ2 (別府港:1978年3月)

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 別府訪問3回目にしてようやくキハ2の活躍を見ることができました。そしてお約束の機関区訪問ですが、まだ早すぎて誰もいません。一応、別府港駅に撮影を申し入れて機関区へ・・・

 

4.お決まりの正門撮影 (別府港:1978年3月)

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まだ朝早いので、正門上の照明も点灯しています。この日はキハ101が検査日のようで、車庫にいました。画面の遠くに山陽新幹線の0系がチラッと見えてます。右の線路を歩く駅員さんは、早朝から操車のためポイント操作で大忙しです。

 

5.古風な並び DC301とキハ101 (別府港:1978年3月)

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昭和30年代を彷彿させる2両の並びですが、キハ101の前照灯がシールドビーム2灯なのが残念です。オリジナルは前照灯が屋根取付の1灯で前面窓も2段式だったので、ずいぶんスマートな容姿になりましたが、この改造は片上時代に実施されました。隣のDC301は次回の訪問時には解体されて、台枠しか残っていない姿になってしまい、これが唯一まともな写真です。また1両、江若の生き残りが減ってしまいました。

 

6.新鋭?キハ101 (別府港:1978年3月)

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キハ101(注1)は誰が見ても片上のキハ301そのままでした。当時片上には同形車のキハ302~306(304は欠番)がまだ在籍していましたが、なぜかキハ301だけが廃車となり、1974年に別府へやって来ました。元は国鉄の機械式ガソリン動車でしたが、片上時代にディーゼル化とトルコン化されました。別府では野口線の国鉄加古川乗り入れを目論んでこの車両を導入した様ですが、それは実現しませんでした。しかし、野口線の主力車として廃線まで使用され、老朽車のキハ2,3を温存するにはちょうど良い車両だったと思います。

(注1)キハ101の車歴:別府101←片上キハ301←片上キハ3001←国鉄キハ41057:1934年川崎車輌製。