ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第22話 1987年栗原 鉱山閉山の頃(その2)

栗原訪問は今回の1987年が初めてでした。珍しく新幹線を使い日帰りとなりました。上野から始発「やまびこ号」に乗り、石越駅に着いたのは10時過ぎだったと思います。栗原電鉄の石越駅はすぐ目の前にありましたが、電車はいませんでしたので、ロケハンを兼ねて若柳まで歩きました。この日はまず、若柳の車庫を訪問し、鶯沢まで乗車。鶯沢から細倉まで歩き、折返しは津久毛で途中下車し夕景を撮影して戻りました。

 

1.仙台平野の北辺を快走するM181(荒町~若柳:1987年11月)

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 この日は快晴で気合が入りました。新潟交通にも似た田園風景が延々と続きます。かん高い吊り掛け音と共に、M181が軽快に飛ばして来ました。結構速いのでびっくりです。栗原電鉄の最高時速は80km/hだったそうです。

 

2.自社発注のM153 (荒町~石越:1987年11月)

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栗原の電車と言えばこのM150形(注1)です。新潟交通の日車標準車体に似ていなくもないですが、こちらはナニワ工機製で、製造はこちらの方が少し早く1955年でした。この車両は改軌時の新装開店に合わせて3両新製されたものですが、当時の地方私鉄ではデラックスな部類だったそうで、鉱山が裕福だった時代を感じさせます。デザイン的にも当時製造された大手私鉄の車両にも引けを取らない洗練されたスタイルで、私も気に入ってます。この車両は改軌以来、栗原電鉄が3セク化されて非電化となる1995年まで40年間使用され勇退しました。

(注1)M150形の車歴:栗原M151~153:1955年ナニワ工機

 

3.元西武の18m車 M181 (荒町~若柳:1987年11月)

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 M181(注2)も改軌時に導入されましたが、こちらは元西武鉄道の中古車です。元はM161を名乗り、西武時代のダブルルーフ木造車のまま使用されましたが、老朽化のため1959年に西武所沢車輌にて鋼体化し、車両長が18.6mとなり、車両番号をM181と改めました。M181はM150形に比べて車体長が3mも長いので、真横から見るとやはりデカイです。

(注2)M181の車歴:栗原M181←栗原M161←西武モハ204:1926年日本車輌

 

4.初冬の栗駒山をバックに M153駒場~鶯沢:1987年11月)

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5.鶯沢の二迫川橋梁にて M153駒場~鶯沢:1987年11月)

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 栗駒山が望める鶯沢で下車し、すぐ近くの二迫川橋梁でM153を連写しました。栗駒山はもう冬景色ですが、オレンジの電車が映えます。ここは以前から撮影ポイントとして目をつけていた場所ですが、もう1年早く来ていればED20形の牽く貨物列車が撮影できたはずです。

 

6.細倉に向け勾配区間を上るM153 (細倉~駒場:1987年11月)

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天気が良かったので、ハイキング気分で鶯沢から細倉まで歩きました。しかし、鶯沢を過ぎるといきなり山間部に入ります。なかなか良い撮影場所がなく、おまけに曇ってきたので少々気合抜けしてしまいましたが、列車は時刻通りにやって来ました。慌てて草むらに飛び込んで撮ったのがこの写真です。細倉まではおよそ4km。人気もなくだんだんと鉱山鉄道ぽくなってきました。