ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第24話 1984年上田交通 丸窓が居たころ

1984年は私にとって、ローカル電車への本格参入となった年です。

当時は大手私鉄の「お古」を活用してリフレッシュする地方鉄道が相次ぎ、とにかく急がないと旧型車が一掃されてしまいそうな勢いでした。そんな時バイト先で知り合った友人が、かなりの旧型国電マニアで、旧型気動車マニアの私と意気投合してしまい、古い車両を見とどけようと、全国ローカル線行脚が始まりました。

その初っ端となったのが上田交通別所線です。

 

1.桜満開の別所温泉駅で客待ちのモハ5252 (別所温泉1984年5月)

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上田交通別所線は。現在の上田電鉄別所線です。過去に幾度となく廃線の危機を乗り越えて現在に至りますが、もともと上田地方には複数の地方鉄道が存在し、それらが戦前に合併しました。その後東急グループの傘下となり、1944年に上田交通となりました。上田を中心とする“地方の大手”となりましたが、それも昭和40年代には輸送需要の低迷により路線の短縮を余儀なくされ、最後に残ったのが別所線です。別所線も一時は“風前の灯”状況でしたが、心機一転、1500V昇圧および設備の更新により新装開店することになりました。

 

2.早春の塩田平を行くモハ5252 (中塩田下之郷1984年5月)

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上田交通と言えば、別所線の「丸窓」ことモハ5250形(注1)を語らずして何も語れませんが、いよいよ「丸窓」が淘汰されるとの情報を受けて、上田に出向きました。
しかし、行ってみると「丸窓」以外にも興味をそそる車両が結構いたのでビックリ。これらの車両も「丸窓」ともども2年後には一掃されて、別所線は昇圧され新装開店となります。
(注1)モハ5250形の車歴:上田交通モハ5250形(モハ5251~5253)←上田温泉電気デナ200形(デナ201~203):1927年日本車輌

 

3.モハ5252 下之郷中塩田1984年5月)

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上田交通には「丸窓」が3両(モハ5251~5253)いました。いずれも上田温泉電軌が開業時に導入したもので、戸袋の楕円形窓が「丸窓」の愛称のゆえんですが、実はこのタイプの丸窓車は、かつては全国に結構いました。しかし、この時期になると上田交通名鉄揖斐線くらいしか残っておらず、一躍有名になってしまい、あまり皆さんが騒ぐので、私は上田交通を敬遠していましたが、さすがに実物を見ると、その魅力がよくわかりました。それから昇圧までの間、古い電車を追いかけて上田参りが続きました。

 

4.産川橋梁を渡るモハ5252 中塩田下之郷1984年5月)

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この時は5月の連休でしたが、別所温泉への観光客は意外に少なく、モハ5250形は単行運転でしたが、乗客が多い時は上田寄りにクハを連結して2連になります。上田交通では長らくサハも使用されていましたが、終端駅での付替えが面倒なので、1983年に元東急5000系の中間車をクハに改造して2両(クハ290形)導入した以降、サハは殆ど使用されませんでした。ちなみに元東急5000系のクハ290形は「丸窓」用であったので、新旧全く形態の異なる2連が見られましたが、これも昇圧までのわずかな期間でした。 

 

5.モハ5252 神畑~寺下:1984年5月)

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 現在も別所温泉は信州の鎌倉と言われて、そこそこ有名な観光地ですが、この地方の気候風土が、上田交通の車両と非常にマッチしていました。そして車両のカラーリングもいい味を出していました。この色は白黒と思っていましたが、現物を見て、黒ではなくダークブルーであることを知りました。この色も別府鉄道の“ベフピンク”同様、難しい色です。あえて“ウエダブルー”と呼ばせてもらいます。

 

6.モハ5253の車内 (上田原:1984年5月)

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モハ5253の車内です。モハ5250形は座席の色がエンジとブルーの2種類ありました。木造の車内にはエンジ色が良く似合います。真鍮製の手すりや網棚受けも良い雰囲気です。