今回も移籍車両です。
上田交通にはお隣の長野電鉄から追い出されてしまった車両も生き延びていました。
1.突然の試運転列車 モハ5261+クハ261 (寺下~上田原:1987年5月)
この日は祝日でしたが、突然試運転列車がやって来ました。なんと元長電コンビのモハ5261+クハ261の2連です。この2両は長電の長野市街地下化の煽りで1978年に長電を追い出されて来た、ちょっとかわいそうな車両たちです。しかし職場は変わりましたが、同じ長野県内のお隣で活路を得ました。
2.いきなり営業投入のモハ5261+クハ261 (中塩田~下之郷:1987年5月)
3.クハ261+モハ5261 (下之郷~中塩田:1987年5月)
つい先ほどまで試運転列車だった長電コンビですが、続いて営業投入されました。モハ5621はともかく、クハ261が走るのは結構稀でした。天気も良く、最高の撮影日和ですが、カメラがイマイチ。この頃から一眼レフの購入を考え始めました。
4.千曲川橋梁を行くモハ5251+クハ291 (上田~城下:1987年5月)
モハ5251はさておき、後ろのクハ291が注目の新車です。新車と言っても元東急5000系のサハ改造のクハです。切妻連結面に強引に運転室を設けたので、なんとも変テコな車両となってしまい、湘南顔の5000系が通称“青ガエル”と呼ばれたのに対し、クハ290形は“平面ガエル”と呼ばれました。また、クハ290形はモハ5250形の専属クハとなったので、新旧チグハグな2両連結が何とも滑稽でした。
クハ290形は1983年の導入なので昇圧後も残るのかと思っていましたが、昇圧後に導入された“青ガエル”の仲間には、残念ながら入れてもらえませんでした。
5.長電創業時からのコンビ クハ261+モハ5261 (上田原:1987年5月)
長電コンビのクハ261とモハ5261ですが、個人的には長電時代の塗装よりも、ウエダブルーが似合っていると思います。長野を追い出されて、上田で活路を得ましたが、これもあと2年でした。
クハ261(注1)は長電開業時に導入されたデハ100形2両のうちの1両で記念すべき車両です。デハ101(→モハ101)は1977年に廃車となり、デハ102(→モハ102)が1978年にクハ化されて上田にやって来ました。
モハ5261(注2)は長電デハ100形の改良増備車モハ111(→モハ201)です。
クハ261とモハ5261は共に半鋼製であったため、長電の地下区間に適合せず、長電が元東急5000系を大量導入したことにより、淘汰され上田にやって来ました。
(注1)クハ261の車歴:上田クハ261←長野モハ102←長野デハ102:1926年汽車会社製
(注2)モハ5261の車歴:上田クハ5261←長野モハ201←長野モハ111:1933年汽車会社製
6.元国鉄買収電機のED251 (上田原:1987年5月)
上田交通はかつてほとんどの路線で貨物輸送を行っていたので、電気機関車も3両保有していました。しかし、路線短縮と共に電気機関車も淘汰され、最終的に別所線にED251(注3)のみが残存しましたが、晩年は貨物輸送が廃止されて失業状態でした。
このED251は元国鉄買収電機で、元々宇部鉄道の車両でしたが国鉄買収後は富山港線に移り、廃車後に丸子線にやって来ました。丸子線では沿線にあった鐘紡の貨物輸送を担いましたが、丸子線廃止後に別所線に転じました。