ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第27話 1984年上田交通 丸窓が居たころ(その4)

当時の上田交通別所線は路線長の割に車両の保有数が多かったと思います。なぜかラッシュ時専用の車両もいました。

 

1.ラッシュ専用上田の異端児 クハ3772+モハ3310 (上田原:19874年5月)

f:id:kk-kiyo:20181018223358j:plain

当時はどんなに田舎の鉄道でも朝のラッシュがありました。別所線にもそれなりのラッシュがあり、そのために東急から中古車を購入しました。当初は1975年に東急からデハ3310(→上田モハ3310)とクハ3661(→上田クハ3661)の2両を借用ということで入線しましたが、その後1979年にこの2両を譲受しました。この2両は固定編成で使用されましたが、クハ3661は老朽化が激しく、モハ3310は別所温泉の勾配が登れない非力ぶりでした。よって、コンビを解消しクハ3661は廃車。モハ3310は両運化とパワーアップ改造を受けて独り立ちしましたが、どうも主力にはなり切れず、1982年に購入された元東急クハ3772(→上田クハ3772)と新たなコンビを組むことになり、それ以降はラッシュ時の中塩田折返し運用のみに充当されました。

 

2.モハ3310+クハ3772 (上田原:19874年5月)

f:id:kk-kiyo:20181018223442j:plain

結局、モハ3310+クハ3772は朝だけの非効率な運用に落ち着いてしまい、昇圧まで在籍しました。モハ3310(注1)はせっかく両運化しパワーアップもしたのにもったいない話です。クハ3772(注2)も導入当時は一番新しい車両でしたがこれももったいない。この編成は上田の仲間に馴染めなかったのか、最後まで東急グリーンのまま異端児でした。

(注1)モハ3310の車歴:上田モハ3310←東急デハ3310←目蒲モハ160(鋼体化)←池上デハ23←鉄道省デハ6313:1924年新橋工場製(車体:1941年川崎車輌製)

(注2)クハ3772の車歴:上田クハ3772←東急クハ3772(車体新製)←鉄道省クハ65147(鉄道省サハ25083鋼体化):1948年東急車輛製(車体:1961年東横車輌製)

 

3.元祖ラッシュ用増結車 サハ62  (上田:1984年5月)

f:id:kk-kiyo:20181018223530j:plain

上田交通は1965年にラッシュ時の増結用として元東急サハ3550形を4両購入し、サハ60形として各路線に導入しました。このサハは先ほど異端児として紹介したモハ3310の同系列車ですが、塗装もしっかりウエダブルーとなり、すっかり馴染んでいました。しかし路線短縮の煽りで当時はサハ62(注3)だけしか残っていませんでした。

(注3)サハ62の車歴:上田サハ62←東急サハ3352←東横サハ2(鋼体化)←池上デハ27←鉄道省デハ6317:1914年新橋工場製(車体:1936年日本車輌製)

 

4.魅惑の廃車たち (上田原:19874年5月) 

f:id:kk-kiyo:20181017225348j:plain

 地方鉄道の車庫裏は意外とお宝スポットです。上田原の車庫もご多聞に漏れず相当な宝庫でした。写真に写っている3車体ですが、右のグリーンの車両は元々モハ3310とコンビを組んでいたクハ3661(注4)の廃車体です。左のダルマ2体は、前方が元モハ3122(注5)、後方が元モハ3121で、いずれも元気動車です。このダルマの車内には真田・傍陽線の廃線時の遺品が多数保管されており、車体共々まさにお宝でした。

(注4)クハ3661の車歴:上田クハ3661←東急クハ3661(鋼体化)←京浜クハ5213:1911年天野工場製(車体:1947年東急車輛製)

(注5)モハ3122の車歴:上田モハ3122←上田モハ312←上田キハ1←丸子キハ1:1934年日本車輌

 

5.善光寺白馬の成れの果て (上田原:19874年5月) 

f:id:kk-kiyo:20181018223646j:plain

元モハ3121(注6)は元々善光寺白馬電鉄の気動車ゼ100でした。善光寺白馬電鉄?ですが、実はこの鉄道は名前だけ現在も引き継がれており現存する会社です。創業時から大変苦労の多かった鉄道で、長野から白馬まで計画されたのですが、開業したのは長野市郊外の善光寺温泉あたりまでで非電化でした。そしてわずか8年足らずで戦時統制のもと不要不急路線として休止撤去。戦後も復活することなく休止扱いのまま、手続き上1969年にようやく廃止となりました。しかし、会社は善光寺白馬電鉄㈱の名称もそのままに総合物流企業として現在も盛業中です。そんなわけで、開業時に購入した気動車2両のうち1両が1944年に上田にやって来て、電車となりました。上田では当初から気動車としては使用せず、サハとして丸子線で使用し、その後電車化して西丸子線、別所線に充当され、奇しくも善光寺白馬電鉄が正式廃止となった1969年に廃車されました。そして廃車後も上田原車庫でダルマとなり最後のご奉仕となりました。

 (注6)モハ3121の車歴:上田モハ3121←上田モハ311←上田キハ301←善白ゼ100:1936年日本車輌

 

6. 謎の留置車(上田原:19874年5月) 

f:id:kk-kiyo:20181018223720j:plain

上田原には謎の車両が多数いましたが、すぐにでも走れそうな車両が留置されていました。写真の赤い車両は元長電のモハ611です。この車両も長電の地下化で追い出された車両ですが、結局入籍することなく昇圧時に解体されました。

その後ろの上田塗装の車両はモハ4257(注7)です。真田・傍陽線で活躍後、別所線に転じてきましたが、1983年に廃車となりそのまま留置されていたものです。この車両は元富士山麓(富士急の前身)が開業時に新製したモハ1で、その後富士急が引き取り、登場時の姿に復元のうえ、現在も河口湖駅前に保存されています。

(注7)モハ4257の車歴:上田モハ4257←クハ251←富士山麓モハ501←富士山麓モハ1:1929年日本車輌