ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第37話 1985年鹿島 湘南型気動車天国

茨城県常磐線沿線にはなぜか非電化私鉄が密集していました。その大半は合併によって茨城交通関東鉄道の傘下に統合されましたが情勢が変わり、1979年に関東鉄道は業績が悩ましい筑波線と鉾田線を分社化し、それぞれ筑波鉄道鹿島鉄道になりました。関東鉄道自身は身軽となって常総線と竜ケ崎線の2路線を継続しましたが、切り離された筑波鉄道鹿島鉄道はたまったもんじゃなかったはずです。いずれこの2路線は店じまいすることになりますが、これもシナリオ通りだったのではないかと思います。

まずは1985年の鹿島です。私が最初に鹿島を訪れたのは1977年でまだ関東鉄道時代でした。この時は石岡機関区を訪問しただけでしたが、それから8年経った1985年当時も車両のラインナップは殆ど変わっていませんでした。

 

1.湘南顔がゴロゴロいた石岡機関区 (石岡:1985年5月)

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当時鹿島には生え抜きの気動車は居ませんでしたが、いずれも百戦錬磨の強者ばかりでした。概ね、元国鉄の機械式、元北海道の炭鉱鉄道、元加越能鉄道の3グループに区分されます。この面々は、関東鉄道時代に集結したものですが、比較的単行運転が主体だった鉾田線には非貫通の車両が集められたようで、湘南タイプが7両もいました。

関東鉄道は古い車両の淘汰以前に車両不足が深刻で、気動車なら何でも買う勢いで各地の中古気動車を物色していたようですが、北海道の炭鉱が閉山となり不要となった気動車を見逃しはしませんでした。トルコン付きで車齢も若かった炭鉱鉄道の車両をごっそり買い込み、非貫通だった芦別のキハ101~103と夕張のキハ251,254が鉾田線に配属され、これらはほぼ同形車だったのでキハ710~715となりました。

 

2.北海道芦別出身のキハ713 (石岡:1985年5月)

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芦別のキハ710形(キハ711~713)(注1)ですが、芦別鉄道は廃止になったのではなく、旅客をやめたため気動車を手放しました。夕張車とそっくりですが、同じ新潟鐵工製の兄弟車です。夕張車との外観上の違いは、前照灯の脇にタイフォンが付いています。また、夕張車は1977年にロングシート化されましたが、芦別車はクロスシートを維持しました。

(注1)キハ710形(キハ711~713)の車歴
 鹿島キハ711~713←関東キハ711~713←芦別キハ101~103:1957年新潟鐵工製

 

3.北海道夕張出身のキハ715 (石岡:1985年5月)

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夕張車はキハ714、715(注2)の2両でしたが、この2両は側窓の大きさが異なり見分けが付きます。キハ715は小窓ですが、これはクロスシートに合わせた窓配置でした。夕張車はロングシート化され、車体外板を張り替える更新を行っていますが、関東鉄道では車体更新時にことごとく前面を切妻化する伝統があり、多くの流線形が失われてきましたが、夕張の2両は幸い湘南顔を維持しました。

(注2)キハ714,715の車歴

・鹿島キハ714←関東キハ714←夕張キハ251:1953年新潟鐵工製

・鹿島キハ715←関東キハ715←夕張キハ254:1956年新潟鐵工製

 

4.新鋭かつ自社発注のDD902 (石岡:1985年5月)

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鹿島の救世主だった百里基地のジェット燃料輸送用に唯一新製されたのがDD902(注3)です。気動車は中古車ばかりなのに、関東鉄道が機関車を新製したのは、この路線が貨物に依存していたことを物語っています。

カラーリングは関東グループの機関車色である茶色に白帯ですが、本体は台車以外国鉄DD13そのものです。お隣の筑波鉄道は1987年に早々店じまいしてしまいましたが、鹿島が長らく生き残ったのはジェット燃料輸送のおかげです。やはりローカル鉄道存続のカギは貨物です。

(注3)DD902の車歴:鹿島DD902←関東DD902:1968年日本車輌