1985年当時、名鉄の路線で最もローカル私鉄ぽかったのは谷汲線だったと思います。
谷汲線は元々谷汲鉄道として開業した路線ですが、沿線人口は希薄で、終点の谷汲山華厳寺の参拝客をあてにした以外は特別何があるわけでもなく、名鉄に合併していなければとっくの昔になくなっていたはずです。名鉄合併後も基本的に黒野~谷汲間の線内運転でしたが、谷汲山華厳時の御開帳がある日と年末年始だけは岐阜市内からの直通があり、モ510も乗り入れていました。
1.古老のワンマン車モ752 (北野畑~更地:1985年12月)
谷汲線の日中はワンマンカーのモ750形が1両で折返し運転をしていました。この日はモ752が運用に就いていました。このモ752は一時期クハ化されク2151となりましたが、わずか2カ月で電動車に戻され、モ752に戻った経歴があります。
2.モ752 (北野畑~更地:1985年12月)
後ろの山は、石灰石を採掘していた山です。この石灰石はベルトコンベアで根尾川対岸の住友セメントの工場に運ばれ、そこから更に専用鉄道と樽見鉄道経由で出荷されていました。
3.モ752 (北野畑~更地:1985年12月)
3の写真と同じ場所を近くの丘から俯瞰してみました。何と線路の右側には建設中の道路が写っています。道路状況が良くなれば谷汲線の存在価値はますます下がります。やがて大手の名鉄も耐え難い状況になってゆきます。
4.モ752 (赤石~北野畑:1985年12月)
赤石付近は樽見鉄道が根尾川を挟んで併走する区間です。この写真の背後の山の麓が樽見鉄道の線路です。この写真の左側に集落があり、現在も樽見鉄道の木知原(こちぼら)という駅があります。
5.モ752 (赤石~北野畑:1985年12月)
荒涼とした石灰石採掘場を過ぎると赤石の集落です。この場所は2枚目の写真の背後に写っている山のちょうど後ろ側にあたります。
6.モ752 (長瀬~赤石:1985年12月)
長瀬の集落には火の見櫓があり、レトロな車両とお似合いでした。
7.モ752 (更地:1985年12月)
モ750形は両運車だったので谷汲線や揖斐線の黒野~揖斐間の末端区間に充当され、新車導入後も活躍しました。
写真のモ752はモ780形の増備により1998年に廃車されましたが、谷汲線は電力事情が宜しくなく、新車の入線が困難だったため、モ751,754,755の3両は2001年の廃線まで残りました。しかし、谷汲線に新車のモ780が入線できなかったとは興味深い話です。大正時代の非効率な車両が走れて、最新の省エネ電車が走れない!!高調波の影響なのか、最近の電車は繊細です。もっともエアコンも付いてない電車こそが究極の省エネ電車の様に思えます。