ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第45話 1992年一畑 赤いデハニを求めて(その5)

1992年当時、一畑電鉄には冷房車もカルダン車もいませんでした。

さすがに、一畑電鉄ほどの規模でカルダン車も冷房車もいないとは恐れ入りました。しかも手動ドアの車両が走っていたとはカルチャーショックです。しかし、そんな浮世離れした状況がいつまでも続くわけがありません。2年後には車両の近代化がはじまります。

 

1.吊り掛車4連急行 (布崎~園:1992年1月)

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正月3ヶ日には4連の急行も走り、当然70形が使用されました。

デハニ50形はさておき、70形は私の好みの車両でした。吊り掛車4連でオールクロスシートは壮観です。この4連が拝めるのは正月3ヶ日くらいでした。

 

2.吊り掛車4連急行 (布崎~園:1992年1月)

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3.元西武車3連 (遥堪~高浜:1992年1月)

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 両運車のデハ60形は同じく西武版湘南顔の2連である90形の後追いで1986年に入線しました。両運車なのでてっきりデハ1形の後継車かと思っていましたが、実態は元西武車(CS制御車)用の増結車として普段は予備車的存在だったのでワンマン化もされず、稼働率の低い存在でした。

 

4.元西武車3連 (遥堪~高浜:1992年1月)

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5.デハ61 (平田市:1992年1月)

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 一畑には増結用の両運電動車60形(注1)が2両いました。これも元西武クモハ551形を西武所沢で両運化して1986年に入線しました。両運化にあたり、同形車から前頭部を移植しており、両妻とも西武風新湘南タイプのお面で、80形に比べて好ましい車両です。
(注1)60形の車歴
・一畑デハ61←西武クモハ554(クモハ553の前面接合):1961年西武所沢製
・一畑デハ62←西武クモハ552(クモハ551の前面接合):1961年西武所沢製

 

6.デハ91+クハ191 (大寺:1992年1月)

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90形(注2)は2連1編成が在籍し、1985年に入線した元西武の車両ですが、デハ91は西武551系、クハ191は西武601系からの改造車で、西武時代両車は全く別編成でした。性能的には80形同等で共通運用とされていましたが、90形は西武版湘南顔なので少しはマシでした。

(注2)90形の車歴

・一畑デハ90←西武クモハ560:1962年西武所沢製

・一畑クハ191←西武クハ1661←西武クハ1605:1963年西武所沢製

 

7.デハ31廃車留置 (平田市:1992年1月)

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さて、平田車庫の車庫裏にはお宝がありました。それがデハ31(注3)でした。

しかし、すでに廃車されており、部品確保で留置されている身分でした。このデハ31は非常にややこしい経歴の持ち主で、1953年入線で1形式1両の元旧型国電です。旧国らしくない容姿ですが、これは1955年にナニワ工機で車体を鋼体化新製したためで、その時点では荷物室合造車で、荷電の様な存在でした。その後荷物室を撤去し2扉化されて一般の電車として復活しましたが1986年に廃車となり、その後は車庫裏生活に転じました。

(注3)デハ31の車歴:一畑デハ31←一畑デハニ31←一畑デハ31←国鉄モハ1057:1921年汽車会社(東京)製

 

1992年の正月、遅ればせながら一畑電鉄の全容を探ることができました。これに味をしめ、この後も赤いデハニを求めて一畑参りが続きます。ところで平成30年もいよいよ年末です。現在一畑電鉄改め一畑電車では、車両こそ代わってしまいましたが、年明けの三ヶ日は賑やかな光景が展開されることでしょう。久々に覗いて見たいものです。