ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第46話 1985年紀州 和歌山の小私鉄

和歌山県には紀勢本線から分岐する小さな私鉄がいくつか存在しました。

北から、和歌山鉄道(現和歌山電鉄)、野上電鉄、有田鉄道紀州鉄道などです。このうち現存するのは、和歌山電鉄と紀州鉄道ですが、1985年の年末に紀州、有田、野上をまとめて訪問しました。

まずは、紀州鉄道です。

 

1.閑散とした御坊駅付近を行くキハ604(御坊~学問:1985年12月)

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 1985年当時、紀勢本線はすでに新宮まで電化されており、381系の特急くろしお号も走っていましたが、お金もなく天王寺から各停を乗り継いで約2時間半かけて御坊に辿り着きました。 この御坊から日高川まで僅か3.4㎞の紀州鉄道が分岐していました。ちなみに紀州鉄道は現存しますが、現在は西御坊までに路線短縮されてしまい、路線長は2.7㎞になってしまいました。

 

2.元大分交通耶馬渓線の車両だったキハ604 (御坊~学問:1985年12月)

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紀州鉄道はもともと御坊臨港鉄道と称していました。紀勢本線が御坊の中心街から外れて開通してしまったので、紀勢本線御坊市街地を結ぶために開業した鉄道です。しかし距離も短く、貨物も少なく、いつ廃止になってもおかしくない程の赤字零細路線でしたが、この瀕死の鉄道を救ったのが大手不動産会社でした。1972年以降、御坊臨港鉄道は紀州鉄道という不動産会社の鉄道部門となり現在にいたりますが、1984年に貨物輸送もなくなり輸送需要は下がる一方で、1989年には末端の西御坊~日高川間が廃止となりました。

 

3.キハ604サイドビュー(御坊~学問:1985年12月)

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紀州鉄道の車両は、廃止となった大分交通耶馬渓線から購入したキハ600形が2両交代で使用されていました。この車両が入る前は機械式の雑多な気動車が活躍していましたが、キハ600形は紀州鉄道になって近代化が図られ、1976年に入線しました。

 

4.キハ604日高川:1985年12月)

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 この写真は廃止となった日高川で折返しの時間調整を行うキハ604です。日高川は住宅街の外れにある無人駅で、そのすぐ先は日高川の土手です。この時終点まで乗ったのは私一人でした。紀州鉄道の運用は、紀勢本線のほとんどの列車に接続していたので結構運転本数がありましたが、その大部分が途中の紀伊御坊か西御坊折返しで、日高川までの列車は少ししかありませんでした。

 

5.キハ604の標記とサボ 日高川:1985年12月)

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6.元キハ103の車体を利用した駅の待合所 (市役所前:1985年12月)

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 線路脇に“お宝”が転がっていました。市役所前駅の待合所になった元キハ103(注1)のダルマです。この車両は各地を転々とした国鉄買収気動車の成れの果てです。1943年に御坊臨港鉄道が購入し、晩年はトレーラー扱いになっていましたが、1970年に廃車となり、車体が待合所に転じました。

(注1)キハ103の車歴:紀州キハ103←御坊キハ103←国鉄キハ40304←新宮キハ205←富山ジハ30:1931年日本車輌製(御坊臨港時代から車号標記を誤記のままキハ108としていた)