ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第50話 1985年野上 和歌山の小私鉄(その5)

野上電鉄では“大正時代のお宝”が現役でした。

さすがに開業時の電車は残っていませんでしたが、大正生まれの阪神電車阪急電車が台車を振り替えて余生を送っていました。

 

1.元阪神601形 モハ24 (日方:1985年12月)

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大正末期、関西地区の私鉄には卵型と称する正面5枚窓の流線形電車が流行しました。その多くは廃車後ローカル鉄道に転じましたが、1985年当時原型のまま生き残っていたのが野上電鉄のモハ24Ⅲでした。

 

2.元阪神601形 モハ24 (日方:1985年12月)

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モハ24Ⅲ(注1)は、3代目ですが経歴は複雑です。

初代デハ24は、近江鉄道カハ102を1951年に自社で電車化したもので、もともと八日市鉄道のガソリンカーだったカハニ102が前身です。しかしながら自社で気動車を電車化したとは、当時の野上電鉄の技量には恐れ入ります。その後、初代は車体をクハ103に譲り、代わって阪急1形3の車体と南海の中古機器を組み合わせた電動車を1957年にモハ24Ⅱとして名義を引継ぎました。しかし、阪急1形3はダブルルーフ車体だったので、1961年には車体を元阪神604に載せ替え、これをモハ24Ⅲとしましたが、これはモハ24Ⅱの名義を引き継いでいません。モハ24Ⅲはその容姿から結構人気があり、晩年は明治製菓のテレビCMにもチョコレート電車として登場し、そのまま1993年の廃止まで使用されました。

ちなみに阪神601形(←阪神371形)は阪神初の半鋼製で、それ以前に製造された木造車の阪神311~331形同様の正面5枚窓を踏襲しました。

(注1)モハ24Ⅲの車歴:野上モハ24Ⅲ←阪神604←阪神374:1924年藤永田造船所製

実態:野上モハ24Ⅲ(阪神604車体+野上モハ24Ⅱ電気品)←野上モハ24Ⅱ(阪急3車体)←野上デハ24(近江カハ102車体)

 

3.元阪神701形のモハ27 (日方:1985年12月)

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阪神701形も3両いました。

阪神701形(←阪神901形)はもともと木造車(阪神291形)を鋼体化した車両で、野上では1955年にデハ25(後にモハ25)、1957年にデハ26(後にモハ26)、1960年にモハ27として竣工し、モハ20形(注2)に編入されました。長らく原型を保持していましたが、写真をご覧の通り、雨樋の拡大を行い均整のとれた容姿が崩れてしまいました。

(注2)モハ20形(元阪神701形)の車歴

・野上モハ25,26←野上デハ25,26←阪神704,710←阪神904,910:1932年藤永田造船製

・野上モハ27←阪神707←阪神907:1932年大阪鉄工所製

 

4.元阪神1141形のモハ32 (日方:1985年12月)

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 野上電鉄には、明かり窓のついたモハ30形(注3)が2両いました。

モハ31Ⅲは1963年入線の元阪神1121形、モハ32Ⅱは1964年入線の元阪神1141形で、共に明かり窓を保持していましたが、この車両達もご覧の通り、雨樋の拡大を行い幻滅です。なお、モハ31Ⅲはモハ31Ⅱの名義を引き継ぎました。

(注3)モハ30形の車歴

・野上モハ31Ⅲ←野上モハ31Ⅱ:1959年野上電鉄製

・野上モハ32Ⅱ←阪神1050:1934年日本車輌

実態:野上モハ31Ⅲ←阪神1050:1934年日本車輌

実態:野上モハ31Ⅱ(野上デハ23車体延長)

モハ31Ⅱの種車となった初代デハ23は、近江鉄道カハ101を1951年に自社で電車化したもので、もともと八日市鉄道のガソリンカーだったカハニ101が前身です。

 

5.唯一元阪急1形車体改造のモハ23 (日方:1985年12月)

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 野上電鉄には、1両だけ阪急1形26の車体を流用したモハ23Ⅱ(注4)がいました。

阪急1形はダブルルーフ車でしたが、この阪急26は譲渡時に車体更新されたため、見た目は阪神車と大差はなく、形式もモハ20形の一員でした。なお、この車両は1958年に初代デハ23と入れ替って登場しましたが、初代デハ23の名義は引継ぎませんでした。

(注4)モハ23Ⅱの車歴:野上モハ23Ⅱ←野上デハ23Ⅱ←阪急26:1914年汽車会社製

(阪急26の実際の製造は箕面有馬電軌時代の1910年とのこと。)

 

6.唯一元阪急1形車体改造のモハ23 (日方:1985年12月)

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1985年当時、野上電鉄では欠損補助のおかげで何とかやり繰りできていましたが、旅客の減少には歯止めが掛からず、徐々に不穏な状況に向かって行きました。

しかし、野上電鉄は車両も沿線風景もローカル私鉄には申し分ない路線でした。今回をきっかけに1993年の廃止までの間、訪問は続きます。