ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第62話 1985年大井川 本来のローカル輸送(その3)

くどいようですが、今回の大井川訪問はSLではなく、電車を見るためでした。

しかし個性豊かな買収国電や西武の初期車達はすでにリタイアした後で、イマイチ面白味に欠けていました。

 大井川鉄道にはモハ300形、クハ500形というシリーズの電車がいました。シリーズといっても、生い立ちの異なる雑多な車両を強引に同じ形式にまとめただけで、個々の車歴を語り始めると本が書けてしまう程の内容です。1985年時点では、すでにモハ300形、クハ500形の初期車は廃車または後輩の移籍車に名義だけ譲り、跡形もありません。当時残っていたのは、比較的導入時期が新しい2連4編成でしたが、やはり形態は異なり、モハ310+クハ510は元名鉄、モハ311+クハ511は木造省電を前身とする元西武、モハ312+クハ512、モハ313+クハ513は元西武の湘南タイプでした。

 

1.一応観光用のモハ313+クハ513 (新金谷:1985年9月)

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写真はモハ313+クハ513(注1)です。この車両は1977年に導入されたモハ312+クハ512と同一形態の増備車で1980年に西武からやって来ました。元は西武クモハ351形で、17m3ドア車でしたが、大井川に譲渡される際に2ドア化されて、西武の初代レッドアロー号の回転クロスシートを装着し、一応観光用電車となりました。

(注1)モハ312+クハ512、モハ313+クハ513の車歴

・大井川モハ312←西武クモハ366←西武クモハ426←西武モハ506Ⅰ:1956年西武所沢製

・大井川クハ512←西武クモハ364←西武クモハ425←西武モハ515Ⅰ:1956年西武所沢製

・大井川モハ313←西武クモハ361←西武クモハ422←西武モハ512Ⅰ:1956年西武所沢製

・大井川クハ513←西武クモハ362←西武クモハ421←西武モハ511Ⅰ:1956年西武所沢製

※西武クモハ351形は戦後初の新車であるモハ500形ですが、初期製造の先頭車は木造省電の台枠を流用した鋼体化車両でした。先頭車が17m車で、中間車は完全新製された20m車でしたが、後の増備車は先頭車も完全新製の20m車となり、初期の17m先頭車も20m車に置き換えとなったため、捻出された初期の17m先頭車はクモハ420形に編入され、後にクモハ351形に改番されました。

 

2.中途半端だった大井川のロマンスカー3000形 (新金谷:1985年9月)

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私にとって新しい車両は興味の対象ではありませんでした。本来であれば電車は吊掛車、気動車なら機械式が興味の対象といったところですが、さすがに昭和の晩年ともなると数に限りが見えて、趣味の存続のためにも対象の枠を広めざるを得ませんでした。

その枠の微妙な位置にあったのが昭和30年前後の初期の高性能車です。しかし大手私鉄の車両となると大半はどうでも良い存在で、例えば小田急のSSE車などは写真など撮ろうとも思いませんでしたし、この車両の小田急現役時代の写真は1枚もありません。

しかし、大井川で出会ったSSE車は小田急時代の存在感は見られず、なんだか哀れに見えてしまい、思わずカメラを向けてしまいました。

最初に大井川鉄道小田急のSSE車を譲受したと聞いた時、この車両をどうするのかと思いました。

大井川では初のカルダン車であり冷房車でした。小田急スタイルそのまま、1983年に3000形(注2)ロマンス急行「おおいがわ号」としてデビューしましたが、案の定、デカ過ぎて使いこなせなかった様です。この車両の導入背景には、動態保存が目的だったようで、車内ではリプトン紅茶ではなく、川根茶がサービスされたそうですが、さすがにそれだけで乗りに来る人はいなかったようで、早々にお荷物扱いとなり1987年には運用離脱。その後休車を経て1992年にあっけなく解体されてしまいました。SSE車は登場時、狭軌における世界最速の145km/hを記録し、ブルーリボン賞も受賞した優秀な車両ですが、大井川ではSLに敵いませんでした。

(注2)3000形(モハ3001+モハ3002+サハ3003+モハ3004+モハ3005)の車歴

・大井川モハ3001←小田急デハ3001←小田急デハ3001:1957年日本車輌

・大井川モハ3002←小田急デハ3002←小田急デハ3002:1957年日本車輌

・大井川サハ3003←小田急サハ3003←小田急デハ3006:1957年日本車輌

・大井川モハ3004←小田急デハ3004←小田急デハ3007:1957年日本車輌

・大井川モハ3005←小田急デハ3005←小田急デハ3008:1957年日本車輌

小田急SSE車は当初8両編成のSE車でした。大井川に導入された第1編成は、元々オール電動車(デハ3001~デハ3008)でしたが、御殿場線乗り入れ用に中間車(デハ3003~デハ3005)を抜いて、デハ3006をサハ化し、改めて3001~3005に改番したものです。

 

3.SL列車の黒子E101 (新金谷:1985年9月)

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 大井川鉄道にはE10形(注3)という立派な箱型45tの電気機関車が2両在籍していました。

この車両は1949年の電化時に導入された3両のELのうちの三菱電機製の2両(E101,102)で、電化当初のまだ電車がなかった時期に客車列車を牽引した主力機でした。1952年頃からは電車が増えてきたので、その後は貨物輸送に特化して活躍しましたが、1983年に貨物輸送が廃止されて失業。しかし、SL列車の黒子(補機)として活路を見出しました。

4.E102 (新金谷:1985年9月)

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 E101とE102は同一仕様ですが、外観上の見分けとして、E102は前面窓に庇が付いていました。

(注3)E10形の車歴:大井川E10形(E101,102):1949年三菱電機

 

5.廃車?群 (千頭:1985年9月)

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 訪問時は電化当時に投入された古い車両は一掃されており、面白味に欠けていましたが、お宝は車庫の隅にいました。この時点で廃車なのか休車なのか良くわかりませんが、その陣容は元西武の川造コンビであるモハ307+クハ507、元名鉄モ3302の車体利用のモハ309などなど、往年の雑多なモハ300形、クハ500形です。

 

6.廃車?群 (千頭:1985年9月)

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 写真の左は元三信の買収国電のクハ506、右は元富士身延の買収国電のナハフ505です。

この他にも、木造省電の面影を残すモハ302や元富士身延の買収国電であるモハ305などの廃車体も保管されていました。ただ、保存目的で展示されていたSL群に比べて、これらの古い電車は処分待ちといった状況で、いずれ殆どが解体されてしまいます。