ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第66話 1986年南部縦貫 北海道の帰り道

1986年3月、何を思ったのか突然冬の北海道に向かいました。当時は学生の貧乏旅行だったので贅沢はできません。国鉄の北海道ワイド周遊券をフル活用です。当時この周遊券は都内から買うと、有効期間が20日間ほどあり、北海道までの往復は急行列車の自由席が利用でき、途中下車も可能。そして北海道内は有効期間内であれば何度も乗り降り自由。しかも急行の自由席も何度も利用できました。当時北海道はいたるところに国鉄の路線が存在し、急行列車も多数存在しており、周遊券さえ持っていれば、宿代をけちって暖房の効いた夜行急行で車中連泊も可能で、これで酷寒の道内を食費のみで2週間ほど放浪生活ができました。

ところで今回は北海道の話題ではありません。貧乏旅行に付きものの寄り道が話題です。北海道旅行の帰り道、そのまま直帰するのはもったいないと、貧乏性の私は南部縦貫鉄道、同和鉱業小坂鉄道、茨城交通鹿島鉄道筑波鉄道を寄り道して帰りました。

 

1.レールバスのキハ101と国鉄の保健車 (野辺地:1986年3月)

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大しけの津軽海峡青函連絡船で青森に着いたのは午前5時過ぎだったと思います。それから青森駅の待合室でウトウトして始発の普通列車で野辺地に向かいました。野辺地には南部縦貫鉄道の1番列車がすでに到着しており、折返しの乗客を待っていました。

野辺地には国鉄の「保健車」なる怪しい事業用車が留置されていましたが、雪が多くて写真も撮れない状況でした。

 

2.レールバスのキハ101 (野辺地:1986年3月)

 

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この日、南部縦貫の車両はレールバスのキハ101でした。初めての南部縦貫訪問であり、初めてのレールバス乗車でした。野辺地8時7分いよいよ出発です。

 

3.外板の継ぎ目とリベットが目立つバス車体 (七戸:1986年3月)

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このレールバスは、富士重工お家芸であるバスボディーの技術を鉄道車両に適用した車両で、北海道の羽幌炭鉱に最初の車両が導入され、続く南部縦貫が2両導入しました。さすがに外板の継ぎ目とリベットがいかにもバスボディーですが、1986年頃のバスはすでに溶接構造が主流だったので、昔のバスを見ているようでした。

 

4.キハ101 (七戸:1986年3月)

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野辺地から数人の乗客を乗せてレールバスは出発しましたが、ひどい揺れでした。特に西千曳から先はとてもレールの上を走る車両とは思えないビビリ振動です。あとから分かったことですが、振動の原因は車両ではなく、レールの踏面に摩耗の延命対策で溶接ビードを盛っていたからでした。要するにレールを交換する費用をけちっていたのか? それにしても大胆な保守というか節約というか・・・保安監査をどの様にすり抜けてきたのか・・・コメントに困ります。

 

5.キハ101 (七戸:1986年3月)

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南部縦貫鉄道は開業時から旅客はあてにしておらず、レールバスでも十分なほどでしたが、この鉄道の過去には涙ぐましい事実がありました。もともと国策のむつ製鉄への原料輸送を担うはずで開業したものの、むつ製鉄が計画倒れとなり、運ぶものがないまま一度は倒産しました。本来であればその時点で廃止となっていたはずが、地元が中心となり第三セクター化されて存続しました。しかし、鉄道だけではやって行けず、学校給食の運搬や調理、清掃業なども兼業していました。

 

6.キハ101 (七戸:1986年3月)

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キハ101(注1)は南部縦貫鉄道が開業時に新製した車両で同形車が2両在籍しました。レールバスだけあって、バス部品を多様化しており、ちなみにマニュアル車です。当時でもバスならすでに三世代くらい更新されていてもおかしくない年齢でした。

(注1)キハ100形の車歴:南部縦貫キハ101,102:1962年富士重工

 

7.キハ101車内 (七戸:1986年3月)

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 この日は天気が良かったので、沿線で走行写真でも撮ろうと思い、七戸から森田牧場までレールバスに乗車しました。しかし積雪のことまで考えていなかったので大失敗。とても撮影などできる状況ではなく、仕方なく国道まで1kmほど歩き、バスで野辺地まで戻りました。この時、バスは南部縦貫鉄道に沿って走っており、ほぼ1時間間隔で青森まで直通していることを知りました。列車本数の少ない南部縦貫の撮影にこのバスは結構便利で、その後も南部縦貫訪問時に必ずお世話になりました。

そして野辺地に戻り、次の行き先は同和鉱業小坂鉄道です。