ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第67話 1986年同和小坂 北海道の帰り道(その2)

南部縦貫鉄道の次は同和鉱業小坂鉄道です。

小坂は七戸から十和田湖を挟んでちょうど反対側に位置し、直線距離はさほど離れていませんが、青森に戻って奥羽本線で大館に出るのが無難でした。しかし、時間が掛かるので青森から特急に乗車し、大館に着いたのは13時31分。大館からは6分の接続で小坂鉄道の気動車に乗り換えて小坂には14時13分に到着しました。

 

1.小坂駅 (小坂:1986年3月)

f:id:kk-kiyo:20181228211622j:plain

小坂は鉱山の街です。小坂鉄道も鉱山鉄道として開業しました。当初はナローゲージ軽便鉄道でしたが、小坂鉱山の増産により1962年に改軌し、その際に客車列車を新型気動車キハ2100形に刷新しました。

 

2.キハ2105(小坂:1986年3月)

f:id:kk-kiyo:20181228211709j:plain

 私にとって小坂鉄道の車両は新しく、趣味的には面白くありませんでしたが、キハ2100形(注1)は日車製の私鉄向け標準気動車の決定版です。デザイン的にも同時期の国鉄車に比べて大変洗練されており、関東鉄道にも同形車が存在しました。小坂ではこの車両を7両も新製しました。その頃は鉱山も羽振りが良かったのでしょう。

その後、鉱山は徐々に衰退し、旅客の減少に伴い余剰となったキハ2102,2108(元キハ2104)を同系列の同和鉱業片上鉄道に譲渡しました。

(注1)キハ2100形の車歴

・小坂キハ2101,2103,2105:1962年日本車輌

・小坂キハ2106,2107:1967年日本車輌

 

3.キハ2105(小坂~古舘:1986年3月)

f:id:kk-kiyo:20181228210803j:plain

 小坂ではナロー時代のSLと客車が保存されていたので、構内の撮影後保存車を見に行きました。そして小坂駅の手前でキハ2105の走行写真を撮りましたが、この写真が小坂鉄道唯一の走行写真となりました。

 

4.キハ2103(小坂:1986年3月)

f:id:kk-kiyo:20181228211743j:plain

 

5.キハ2105(小坂:1986年3月)

f:id:kk-kiyo:20181228211816j:plain

 先にも記しましたが、キハ2100形は日車の標準気動車で、関東鉄道のキハ800形とほぼ同形車ですが、こちらは空気ばね車ではなく、一般的なコイルばね車でした。1986年時点で5両が在籍していましたが、1988年にキハ2105~2107の3両はワンマン化され、キハ2101,2103は予備車となり、その後1993年にはキハ2103が廃車されて、4両が1994年の旅客営業廃止まで活躍しました。

 

6.DD131(小坂:1986年3月)

f:id:kk-kiyo:20181228211904j:plain

1986年当時、小坂鉄道の貨物輸送は鉱山斜陽化の影響で、すでに鉱石列車はなく、小坂の精錬所で産出された濃硫酸輸送が行われていました。濃硫酸輸送は登り勾配区間の対策として貨物の多い日は小坂~茂内間をDL3重連で運行されていました。

小坂鉄道には、この濃硫酸輸送用に一見国鉄のDD13モドキの55t級のDD130形(注2)が3両在籍していました。 改軌後の鉱石輸送増強時にDD131~DD133が自社発注され、1978年には気動車と引き換えに片上鉄道からDD13556がやってきました。

なお、DD13556は総括制御ができなかったので、濃硫酸輸送のDL3重連はDD130形がフル動員されていました。

(注2)DD130形の車歴

・小坂DD131~132:1967年:汽車会社製

・小坂DD133:1968年:汽車会社製

 

7.キ115(小坂:1986年3月)

f:id:kk-kiyo:20181228211919j:plain

 小坂鉄道はさすがに雪国だけあって、立派な除雪車が存在しました。

この除雪車はキ115(注3)と称し、元国鉄キ134を1969年に譲受したものですが、私鉄らしくエメラルドグリーン系?に塗られていました。

(注3)キ115の車歴:小坂キ115←国鉄キ134:1935年国鉄新津工場製

小坂では足早に撮影を済ませ、15時50分の列車で大館に戻りました。この後、大館から上野行の急行「津軽号」に乗りますが、素直に東京には戻らず、途中下車は続きます。