ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第74話 1991年高松琴平 お楽しみの雑多車両(その3)

志度線ではお馴染みの春日川橋梁で手堅く撮影です。水上を走る写真を期待したのですが、ちょうど干潮時だったので、川底がむき出し状態で気合が入りません。さて、どんな車両が来るのか?

 

1.31+32 (春日川~潟元:1991年12月)

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 志度線も初っ端から30形です。気合が入らないうえに、モチベーションまで下がります。気を取り直して次を待ちます。

 

2.130+230 (春日川~潟元:1991年12月)

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 30形以外になにか別の列車が来ないか粘っていたら130+230が来ました。この編成、先程長尾線でも撮影しましたが、いつのまにか志度線に来ていました。この頃、志度線は本線とつながっており、車両は長尾線と共通運用だったので、お目当ての車両がどちらの線に入るか毎回賭けでした。

ところで、230(注1)の車歴ですが、この車両は元宮城電鉄の買収国電です。同型車3両と共に高松へ移籍し、クハのまま2000形(210,220,230)となりました。このうち220はモハに改造されて67となり、2両はクハのまま2使用されましたが、210は1969年に廃車となり、230だけが残りました。なお、230は1957年に琴電で鋼体化され、この時に片運貫通化、車体の2ドア化、バス窓化されました。1991年当時、230は結構運用されていましたが、67は予備車的存在で滅多に走らず、230と67の組合せを見ることはできませんでした。

(注1)230の車歴:琴電230(クハ)←国鉄クハ303←宮城サハ303:1926年日本車輌

 

3.345+325 (春日川~潟元:1991年12月)

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 続いてようやく生え抜き車両の登場です。一度は3000形を拝まないと琴電に来た実感が湧きません。

 

4.23+500 (瓦町:1991年12月)

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 長尾線から志度線へ移動途中に、瓦町で少々車両撮影をしました。以下、ラッシュ後の瓦町長尾線ホームの様子ですが、この日は意外にも雑多編成が3本も日中運用されていました。

 

5.65+850 (瓦町:1991年12月)

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65+850も長尾線の日中の運用に入っていました。 

 

6.72+81 (瓦町:1991年12月)

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 なんと、72+81も運用に入っていました。もう少し長尾線で粘った方がよかったようです。