謎だった越後交通長岡線の貨物列車を撮影する機会がようやく訪れました。
戻りの電機を撮影するため、更に1km程移動しました。戻りは貨物を牽引しているはずなので直線区間で待っていると、タキを連ねてセメント列車がやって来ました。
1.午前のセメント列車を引くED5101 (深沢~上富岡:1987年5月)
まさかタキを10両も連れて来るとは思いませんでした。見通しの良い直線区間で良かったです。
この時はセメント列車は西長岡に行くのかと思い込んでいましたが、才津までであることを知りました。ED5101は才津で貨車を開放し入換を行ってから再び単機で西長岡に戻ります。
2.セメント列車の入換を行うED5101 (才津~有栗:1987年5月)
写真は一見のどかな田園風景ですが、ここは才津駅の構内です。写真左の樹木の向こう側に生コンのプラントがあり、そこへセメント列車を入れ換え中の1コマです。
3.ED5101 (才津~有栗:1987年5月)
ようやくセメント列車の入換が終わり、ED5101は単機回送で西長岡に戻っていきました。
4.西長岡の留置車両群 (西長岡:1987年6月)
長岡での実習期間中に何回か長岡線を訪問しましたが、6月になると梅雨に入り、なかなか晴天の写真が撮れませんでした。
5.午後の空車回送 (深沢~上富岡:1987年6月)
この日も土曜日でしたが午後から雨がやみ、寮に居ても仕方ないのでカメラを持って繰り出しました。
午後は空車の回送です。この日もED5101の牽引でした。
6.午後の単機回送 (深沢~上富岡:1987年6月)
小雨のなか、 空車のタキを来迎寺まで見送ったED5101が単機で戻ってきました。この日はこれでおしまいです。この程度の輸送でも存続できたわけで、やはり鉄道は貨物が命です。
7.ED5101、ED5102(西長岡:1987年6月)
長岡線の主力機であるED5100形(注1)は、2両まとめて長野電鉄から1979年にやって来ましたが、この機関車たちは元々北海道の定山渓鉄道の出身です。定山渓鉄道がダム建設の資材輸送用に自社発注した50t機でした。定山渓ではダム完成後は失職し長野電鉄が貨物輸送用に購入しましたが、長野電鉄も貨物輸送を廃止したため、こんどは越後交通が購入したものです。北国育ちだったので冬に強く雪国の長岡では強い味方でした。
(注1)ED5100形の車歴:越後ED5101,5102←長野ED5101,5102←定山渓ED5101,5102:1957年三菱電機製