ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第84話 1985年立山砂防 まだ緩かった時代(その2)

ロッコの便乗は諦めて沿線で撮影をすることにしましたが、どこで撮影すればよいのか?いつ列車が来るのか?まったくわからないまま、山道を登り始めました。この山道はスイッチバックの軌道を短絡する人道で10分くらい登ると千寿ケ原スイッチバックの最上段に出ました。そこからは常願寺川と並行して軌道沿いに延々と歩きます。

 

1.バック走行の通勤列車 (千寿ケ原スイッチバック:1985年9月)

f:id:kk-kiyo:20190105185137j:plain

写真は、工事作業員を乗せた朝の通勤列車です。遊園地のおとぎ列車の様ですが、5分も乗っていると尻が痛くなりそうです。終点の水谷までは片道1時間45分乗車です。この日は晴天ですが雨天の日はこの車両ではビショ濡れになってしまいそうです。

 

2.SKWの牽く資材列車(千寿ケ原スイッチバック:1985年9月)

f:id:kk-kiyo:20190105185159j:plain

スイッチバック以外は、 軌道はほぼ等高線に沿って進むため、それほど勾配はありませんが、結構くねくね蛇行しています。途中、津之浦橋梁という延長60m程の鉄橋がありますが、これが立山砂防で最長かつ最高の鉄橋でした。プレートガーダー橋で左右には欄干がなく、610㎜の軌道の真ん中に幅20㎝程の板が敷いてあるだけです。橋の下は奈落の底で見えません。高さ100mくらいはあります。大変おっかない橋ですが、これを渡らないと先へ進めません。意を決し橋を渡っていると、橋の途中に動物の糞がありました。この橋は獣たちの生活路であることがわかりましたが、なにもこんなところで糞をしなくても・・・

 

3.SKWの牽く臨時資材列車(中小屋連絡所:1985年9月)

f:id:kk-kiyo:20190105185234j:plain

  30分程歩くと小さな掘っ立て小屋のある交換所に着きました。そこは中小屋連絡所という本線に何箇所かある交換所の一つで、おばさんが一人いました。いつ列車が来るのか尋ねたところ、もうすぐ登って来るとのことで、木陰で涼んでいると、おばさんがスイカをくれました。朝から飲まず食わずだったので救われました。小屋の脇には沢の水が引いてあり、スイカが冷やしてありました。まもなくやって来たのが、重機の部品を満載したSKWが牽く臨時列車でした。この日は運搬する資材が多く、貨物列車は4両のトロを牽引していました。

 

4.SKW単機回送 (中小屋スイッチバック:1985年9月)

f:id:kk-kiyo:20190105185025j:plain

中小屋のおばさんの話では、そろそろ列車が降りて来るとのことで、もう少し先に進みました。中小屋のあたりは森の中を軌道が敷かれており森林鉄道の様ですが、その先には見通しの良い4段の中小屋スイッチバックがありました。

 

5.SKW単機回送 (中小屋スイッチバック:1985年9月)

f:id:kk-kiyo:20190105185503j:plain

中小屋スイッチバックは、全体が俯瞰できる撮影には好都合な場所です。ここで待っているとSKWが単機で戻って来ました。ここでは何枚でも写真が撮れるので、調子に乗ってフィルムを浪費してしまいました。

 

6.SKW単機回送 (中小屋スイッチバック:1985年9月)

f:id:kk-kiyo:20190105190616j:plain

 この小さいDLがスイッチバックを往来する様は模型の世界そのものでした。私はこの場所が気に入り、その後も立山砂防に来た時は必ずこの場所で撮影をしました。しかしこの場所は現在軌道のルート変更で廃止され、列車はトンネルでスイッチバックをパスしているので、もうこの様な写真は撮れません。