ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第98話 1982年広島 ヒロ電ボロ電の頃(その9)

1982年3月は広島での最後の悪あがきと言うか、ようやく広電市内線と向き合うことができました。

 

1.元神戸市電だった1150形1151 (千田町車庫:1982年3月)

f:id:kk-kiyo:20190202114139j:plain

 広電には多くの神戸市電が譲渡されましたが、古風な570形ばかりではなく、最新鋭の車両も含まれていました。この1150形は神戸市電初のPCC車と言われた高性能車で、間接制御のカルダン車として登場しましたが、故障が多く、運転部門から拒絶されるほどの厄介もので、ちょうど広電の軽快電車のような感じ・・・。しかし、神戸市電では厄介ものが8両もいたので寝かせておくわけにもいかず、すべて直接制御の吊掛車に性能ダウンする大英断を図りました。よって、広電に移籍した時はすでに吊掛車となっており、同時に移籍した1100形とは外観共々同じような車両でした。

1150形は広電に7両譲渡され、形式もそのまま広電1150形(注1)として竣工しました。

(注1)1150形の車歴

・広電1151←神戸1151:1954年川崎車輌製(直角カルダン試作車)

・広電1152←神戸1152:1954年ナニワ工機製(平行カルダン試作車)

・広電1153~1157←神戸1153,1154,1156~1158:1956年川崎車輌

※神戸市1155のみ現地で保存されたため広電には移籍せず。

 

2.元神戸市電だった570形586 (江波車庫:1982年3月)

f:id:kk-kiyo:20190202114201j:plain

 570形586は元神戸市電L車を前身とする1931年田中車輌製です。いい加減古い車両ですが大型車なので重宝され、後年冷房化されてしぶとく生き残ります。

 

3.元西鉄北九州市内線だった600形602 (千田町車庫:1982年3月)

f:id:kk-kiyo:20190202114224j:plain

600形(注2)は1976年に西鉄福岡市内線の廃止に伴う車両整理の玉突きで西鉄北九州市内線から広電に3両移籍しました。広電移籍後にワンマン化され、13m級の大型車なので元大阪市電や元神戸市電の車両と共に主力となり、後に冷房化されます。

この車両は戦後の運輸省規格型車両で、元大阪市電だった750形とは似たような形態をしています。

(注2)600形の車歴

広電601,602,603←西鉄501,502,504:1948年汽車会社製 

 

4.竣工前の元西ドイツ・ドルトムント市電80 (千田町車庫:1982年3月)

f:id:kk-kiyo:20190204220525j:plain

 1981年に西ドイツ・ドルトムント市電の3連接車が2編成広島にやってきました。写真はまだ竣工前のものです。この車両は、国内の中古車が枯渇してきたので海外に手を出したのではなく、ある意味広電のパフォーマンスだった様ですが、これも面倒な車両です。当時はまだ何でもありの昭和でしたが、鉄道車両には一応法律があり、何でもありではありません。最低でもこの法律をクリアしなければ日本国内では走れません。当然西ドイツの車両が日本の法律にそのまま適合するわけがなく、どの程度まで国内仕様に改造すれば良いものか、この得体の知れない車両に対する当時の運輸局の判断が見ものでした。

 

5.元ドルトムント市電76 (千田町車庫:1982年3月)

f:id:kk-kiyo:20190204220649j:plain

 しかしながら、さすが路面電車先進国の車両です。直接制御ではありますが、多段式の主制御装置や弾性車輪、インサイド軸受台車等々、ついこの前導入された軽快電車のお手本の様な車両でした。

 

6.元ドルトムント市電80車内 (千田町車庫:1982年3月)

f:id:kk-kiyo:20190204220746j:plain

 ドルトムント市電の車内は簡素なFRPベンチシートとやたらパイプが目立ちますが、意外とスッキリ見えるのが不思議でした。しかし、よーく見ると吊り手が一つもありません。これがヨーロッパのスタンダードです。ところが、吊り手なしは日本では受け入れられず、運用開始時には吊り手だらけとなり、すっかり日本の電車になってしまいました。

 

さて、ドルトムント市電の竣工を見ることができず、私は広島を去ることになりました。慣れ親しんだ広電ともお別れです。今では「ヒロ電ボロ電」なんて言えない程、広電は立派になってしまいましたが、私はLRVよりも吊掛車にいつまでも頑張って欲しいと思っています。

ところで、「ヒロ電ボロ電」の話題は今回が最終回です。断片的な写真しかなく、しかも最悪の画像状態でしたが、振り返れば9連載までよくネタが続いたと思います。もう40年も前の写真なので投稿をためらっていた部分もありましたが、とりあえずさらけ出してみました。非常にすがすがしい気分です。