なんだかんだ第100話まで来てしまいました。
ここで一息ついて番外編です。昨年9月に突然ブログをはじめましたが、私はもともと鉄道模型を作るために鉄道写真を撮り始めました。鉄道模型と言ってもジャンルは広いですが、私の場合は1/80ナローからスタートしました。とは言え、かれこれ20年程模型作りは遠ざかっています。先日、中学時代の友人からブログのコメントをもらい、かつての鉄道模型もブログにあげてはどうかとアドバイスがあり、この第100話を機会に少々話題にあげさせてもらいます。
以前から私は古い気動車に興味を持っていることをこのブログで報じてきましたが、なぜか模型は炭鉱で活躍した小型の電気機関車造りにはまっていました。マイナー過ぎて当時は鉄道模型として認知されていない領域でした。
今回ご紹介する模型は、かつて機芸出版が主催した鉄道模型のコンテストに出品したもので、「鉄道模型趣味(TMS)」のNo.505,639に製作記を執筆させていただいたものです。
1.当ブログのタイトル写真の正体は・・・太平洋炭鉱5号機
私の鉄道模型に関するバイブルは、40年前に購入した「知られざるナローたち(丸善出版)」というナローゲージの車両を特集した写真集です。この写真集に触発されて太平洋炭鉱の凸電製作に踏み切りました。
2.太平洋炭鉱5号機+人車(通勤客車)
この5号機と客車の組合せを作るため、わざわざ北海道まで巻き尺を持って出かけましたが、実車はすでに解体されており、悔しい思いをしました。しかし諦め切れず、神田神保町の古本屋街で資料探しに明け暮れた思い出があります。結局、ラッキーなことに5号機は「とれいんNo.135」に詳細記事が紹介され、かなり参考にさせて頂きました。
3.太平洋炭鉱5号機+ワークカー
この編成が本来の5号機の姿です。小柄な5号機はマスコット的な存在で、いつも相棒のワークカーと一緒でした。
今回投稿した画像は安いデジカメで撮ったものですが、接写モードがなかなか使いこなせなく、全体的にちょっとピントが甘いですがご勘弁願います。
4.釧路のひとくち羊羹、太平洋炭鉱の凸電3態
一挙に3両を並行生産しましたが、構想から完成まで17年かかりました。そのうち製作に掛ったのは5年くらいでしょうか。とにかく資料集めに時間を要しました。TMSにはこの3両を“釧路のひとくち羊羹”というタイトルで製作記を執筆しました。ちょうど「ひとくち羊羹」位の大きさです。
5.太平洋炭鉱5号機+通勤客車、10号機+鉱車
ちなみに、模型の大きさは1/80です。実物が小さいので模型も小さくなりました。ゲージは6.5㎜、車高はパンタを上げて65㎜程です。
凸電の車体はt0.3㎜真鍮板、台車枠はt1.0㎜の真鍮板と真鍮角材、パンタと櫓は洋白材が主体。全て半田組立でほとんど素材からの自作となりました。怪しい客車と黄色い鉱車も真鍮製で、小さいボギー台車も車輪以外は自作です。
当時は目が良かったので細かな作業もなんてことありませんでしたが、今はもう無理でしょう。
6.太平洋炭鉱5号機+通勤客車、10号機+鉱車
結構苦労したのは動力装置です。この模型は車体幅が15㎜しかありません。現在のような小型コアレスモーターも流通しておらず、小型車の動力化は最大の悩みでした。動力装置が出来なければ、この車両の模型化は諦めていたと思います。
結局、HO台車の“パワートラック”で実績のある一番小さいモーター(キドマイティーⅢ)を切り詰めて、“だるまや”のヘリカルギヤとウォ―ムギヤを組合わせた動力ユニットを自作しました。動力装置は精度が要求されます。なにぶん手作業なのでいくつか試作し、調子の良いものを車体と組合わせました。
7.太平洋炭鉱3号機
3号機の実車は、元々Ⅼ形だった車体を凸型に改造した車両で台車枠の形態が魅力的でした。実車は晩年に車体更新されて前面窓が1枚窓になり容姿が変わってしまいましたが、やはり3号機はこのスタイルが一番似合います。ところで、この3号機で一番気合を入れたのが連結器です。TMSの記事にも書きましたがこの連結器は究極の半田付け細工です。非常に繊細な作業で、半田こての先端に全神経を集中させ、余計な部分に熱が回らない様に“一瞬の技”を要します。何度も失敗し、模型作りと言うより自身との闘いでした。