ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第103話 1986年三菱石炭 ストーブ列車を見に行く(その2)

遠幌から乗った一番列車は車内を高校生が占拠していたので石炭ストーブを拝めませんでしたが、折返しの列車は私以外乗客ゼロで今度は石炭ストーブを独り占め出来ました。

 

1.南大夕張構内 (南大夕張:1986年3月)

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三菱石炭鉱業鉄道は 清水沢から南大夕張まで7.6km、所要時間は20分で60円ですが、並行するバスは所要17分で330円でした。しかし列車は1日3往復に対しバスは1時間間隔なので、南大夕張は実質バスが主要交通機関でした。

 

2.スハニ6+オハ1 (南大夕張:1986年3月)

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再び清水沢から乗車したのは、先程乗ったDL-55No.2+オハ1+スハニ6 の編成でした。

車内の石炭ストーブも珍しかったですが、3軸ボギー台車のスハニ6も大変貴重な存在で、この鉄道の“お宝”と言うよりも、国内鉄道車両文化財的存在とも言える車両でした。走行時のジョイント音が3拍子でなんとも愉快で、思わず聴き込んでしまいましたが、あっという間に終点の南大夕張に到着です。南大夕張に到着すると早速車内清掃が始まり、客車は午後3時過ぎまで昼寝です。

 

3.スハニ6の標記とサボ (南大夕張:1986年3月)

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スハニ6(注1)は、1986年当時唯一現役の3軸ボギー台車を履いた客車でした。この車両も元は国鉄の出身で、同じ三菱系列の美唄鉄道から1967年にやって来ましたが、美唄時代に荷物室合造車となり、1971年に車掌室を設置しました。

(注1)スハニ1形の車歴:三菱石炭スハニ6←大夕張スハニ6←美唄スハニ6← 美唄スハフ6←国鉄スハニ19114←国鉄オロシ9216:1912年国鉄大宮工場製  

 

4.スハフ6車内 (南大夕張:1986年3月)

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 スハニ6の荷物室は木製ベンチを置いて客室となっていました。ちょっとしたコンパ―トメントですが、通学生たちの溜まり場でした。

 

5.オハ1 (南大夕張:1986年3月)

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 オハ1(注2)は大夕張時代の1953年に国鉄から譲受した車両です。譲受時に北海陸運工業で車体を新製したので普通の半鋼製客車となりましたが、名義上は一番古い車両です。

(注2)オハ1の車歴:三菱石炭オハ1←大夕張オハ1←国鉄オハフ8857←国鉄スニ9282←国鉄スニ19952←国鉄オネ9037←国鉄オネ7:1906年鉄道省新橋工場製

 

6.オハ1の車内 (南大夕張:1986年3月)

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オハ1の車内です。木製ニス塗りの背ずりがなんとも良い雰囲気です。 前方右側の座席部分から立ち上がるのは石炭ストーブの煙突です。

 

7.オハ1の石炭ストーブ (南大夕張:1986年3月)

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 これが石炭ストーブです。夏季はストーブを外して座席が設置されます。三菱石炭鉱業鉄道は運炭鉄道なので石炭はいくらでも入手できますが、この時代に石炭ストーブを当たり前に使用していたのが奇跡的です。しかしこの鉄道は翌年1987年に南大夕張炭鉱の閉山と共に廃止となります。この訪問ではまともな走行写真が撮れなかったので、この年の8月に2度目の訪問を果たしました。

そう言えば、JR夕張線もまもなく廃止となります。時代の流れと言うか、どうしようもない現実です。