今回は東関屋の寸景です。
新潟交通の車庫は東関屋にありましたが、車両の留置は燕や白根の側線も使用されていました。東関屋の車庫は東関屋駅に隣接しており、木造の検修庫を有している他、保線車両の基地もありました。1990年の軌道線廃止後は東関屋が終点駅となりバスターミナルが併設されて構内も整理されてしまいましたが、木造の検修庫は外装だけ補修して全線廃止まで使用されました。
1.モワ51夏姿 (東関屋:1987年9月)
東関屋の主、モワ51です。この車両は冬場の除雪列車で使用される以外は車庫内の車両入換くらいしか仕事がなく、いつも車庫内で寝ていました。
2.モワ51冬姿 (東関屋:1987年12月)
冬季のモワ51は除雪列車として待機するため、白山前寄りの前面に出っ歯のようなスノープローを装着しました。除雪列車は通常立派な除雪車キ116を燕寄りに連結し、燕方面に向けてモワ51が推進運転を行いますが、帰りはモワ51が先頭になるためこの出っ歯が活躍しました。
3.クハ37 (東関屋:1987年9月)
もう1両東関屋の主となっていたのがクハ37です。このブログの第4話で詳細を記載しましたが、元機械式気動車であり、なんとも強烈な1両でした。今回は車内の様子をご紹介します。
4.クハ37車内 (東関屋:1987年9月)
クハ37の車内はロングシート化されていました。片運転台のクハだったので、運転室側を撮影したものですが、運転室は半室で完全に仕切られていました。運転室の仕切りや鴨居部分が板張りになっており辛うじてキハ41000形の名残を留めていました。
5.東関屋庫内クハ37他 (東関屋:1987年9月)
東関屋の検修庫内の様子です。年季の入った工作機械も多数ありました。
6.車庫裏の“お宝”(東関屋:1987年9月)
車庫裏にはやはり“お宝”がありました。この車両はモハ16Ⅱの元々の車体で、元伊那電デハ124を前身とする買収国電です。ダブルルーフの古めかしい形態をしていますが1927年汽車会社製の半鋼製です。現車は1956年に国鉄から譲渡され、モハ16Ⅱとなりましたが、1969年に車体を小田急デハ1409の車体に振り替え、不要となった伊那電の旧車体がダルマとなって残存しました。
7.作業場と化した旧型車の残骸 (東関屋:1987年12月)
検修庫にめり込むように廃車体が建物と化していました。これらは日車標準車体の導入で不要となった元クハ38(手前)とモハ11(奥)の旧車体です。