ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第109話 1987年新潟交通 越後の寸景(その6)

再び新潟交通の沿線寸景です。

新潟交通は路線の大半が中ノ口川の土手に沿って敷設されたため、木場~新飯田間は良い撮影場所がほとんどありませんが、全線を歩きながら何箇所か撮影ポイントを押さえました。今回はその撮影ポイントから何点かご紹介します。

 

1.モハ12 (七穂~板井:1987年9月)

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 七穂~板井間は、なぜか線路は土手から離れて走る場所がありました。駅があるわけでもなく意味不明ですが、この区間は撮影しやすい場所でした。

 

2.モハ25 (七穂~板井:1987年9月)

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 この場所は、酒屋さんの裏を電車が通っていました。ジオラマの一コマの様な光景が展開していました。

 

3.モハ24 (板井~七穂:1987年9月)

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 ここは線路が中の口川の土手から分かれる辺りです。電車は勾配を下って畑のレベルに降りてきます。

 

4.モハ18 (七穂~板井:1987年9月)

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 ここは中の口川の土手を走る区間です。画面の左側が集落で、右側が中の口川です。

 

5.モハ18 (板井~七穂:1987年9月)

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この辺は田圃ではなく畑作地帯でした。かつては田圃だったのかも知れませんが、減反政策の影響か?結構休耕田を利用して野菜や果物を栽培している場所がありました。 

 

6.モハ14 (味方中学校前:1987年11月)

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 味方中学校の周辺も線路は土手から離れて敷設されていました。このあたりも畑が多い一帯でしたが、新潟市の近郊として宅地化が進んでいました。

 

7.モハ2230+モハ2229 (味方中学校前:1987年9月)

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新潟寄りの白山前~白根間は日中も2連が多く運用されていました。小田急からやって来たこの2連も活躍の場がありました。

電車の利用客も結構あったようで、この頃は新潟交通の電車線は通勤通学路線とした定着しており、まさか廃止になるとは思いませんでした。