ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第113話 1988年津軽 北国の春(その2)

津軽飯詰からブラブラ歩いて、毘沙門まで来ました。

ここで、客車列車が戻って来ました。この日は芦野公園の花見客輸送で、客車列車は1日中走っており、2台の機関車を交互に交代しながら運用していました。

 

1.DD352+オハフ331+オハ463 (津軽飯詰~毘沙門:1988年5月)

f:id:kk-kiyo:20190223173900j:plain

 毘沙門付近は長い直線区間ですが、人気もなく落ち着いて撮影ができました。機関車はずいぶん遠くから見えますが、なかなか近づいてきません。こういう場所は動画撮影の方が良い様です。

 

2.DD351+オハ463+オハフ331 (毘沙門~津軽飯詰:1988年5月)

f:id:kk-kiyo:20190706042322j:plain

 客車列車の機関車は新潟鐵工所製のロッド式35t機が2両在籍しました。客車は元国鉄のオハ46形が2両、オハフ33形が1両、そして元西武の電車だったナハフ1200形が3両在籍しました。いわゆるストーブ列車に使用されるのはオハ46形、オハフ33形です。以前は元国鉄オハ31形がストーブ列車として活躍していましたが、老朽化で1983年にオハ46形、オハフ33形にバトンタッチしました。

 

3.キハ24022 (津軽飯詰~毘沙門:1988年5月)

f:id:kk-kiyo:20190223174000j:plain

 似たような写真を何枚も撮っていますが、撮影場所と車両が微妙に違います。

 

4.キハ24021 (毘沙門~嘉瀬:1988年5月)

f:id:kk-kiyo:20190223174036j:plain

 五所川原を出ると、津軽鉄道の沿線は駅の周辺以外はほとんど人が住んでいません。特に毘沙門は相当な過疎地帯と思われます。また、この一帯は冬になると地吹雪が吹き荒れるそうで、防風林が散見されます。冬の津軽鉄道は重要な交通手段となります。今では地吹雪を逆手に取ってツアーを組んでいるそうですが、民間企業でよく頑張っていると思います。

 

5.キハ24022+キハ24023 (毘沙門~嘉瀬:1988年5月)

f:id:kk-kiyo:20190223174100j:plain

2連の気動車がやって来ました。そろそろ花見客が増えてきたようです。

 

6.キハ24026+キハ24025 (毘沙門~嘉瀬:1988年5月)

f:id:kk-kiyo:20190223174143j:plain

 嘉瀬に近づき、ようやく人家が現れました。やって来た列車は、元国鉄キハ11形コンビです。この車両は1975年に寒冷地改造を施工して導入されましたが、自社発注の気動車より製造が古く、かなりくたびれた感じでした。