ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第121話 1985年蒲原 路線縮小の時(その4)

3月30日はさよなら列車が入庫した後も乗客が多かったのか、2連が充当されました。

3連のさよなら列車2本以外は、特に装飾は施されず普段のままでしたが、晩年は単行のワンマンカーしか運転されなかった村松~加茂間に2連が走るのも珍しかったのではないかと思います。

 

1.モハ31+モハ41 (高松~大蒲原:1985年3月)

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 自社発注で似た者コンビのモハ31+モハ41ですが、導入経緯は各車異なります。モハ31は2ドア車、モハ41は3ドア車で、モハ31の方が車両長が2mほど大きいです。この2両は路線短縮後も残り、全線廃止まで活躍しました。

 

2.モハ71 (西村松~寺田:1985年3月)

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夕方になると乗客も減り、いつもの通り単行が走り始めました。この日は陽も暮れてきたので、この列車を撮って撤収です。明日はいよいよ村松~加茂間の最終日です。 

 

3.最終日朝のモハ71 (狭口~駒岡:1985年3月)

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 日が変わり3月31日です。いよいよ村松~加茂間の最終日になりました。

最初にやって来たのはモハ71の単行です。特別な装飾もなく普段通りです。この日は朝から晴れており幸先良いスタートに見えましたが、やはり新潟の冬の天気は気まぐれで安定せず、この後天気が激変しました。

 

4.モハ71 (狭口:1985年3月)

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 狭口駅に到着のモハ71です。こんな日常的な光景を見ていると、本当に今日で終わりなのか信じられませんでした。車内には普段より多くの乗客が乗っているようです。

 

5.モハ71 (狭口~七谷:1985年3月)

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 このモハ71は、路線短縮後も残りました。蒲原では一番大きい車両で、クハ10とコンビを組んで村松五泉間の朝のラッシュで活躍しました。

モハ71(注1)は1965年に西武鉄道から譲受されたものですが、その時時点ではクハだったので電動車に戻されて両運化されました。

(注1)モハ71の車歴

・蒲原モハ71←西武クハ1211←西武モハ215←西武モハ221←武蔵野デハ1322:1927年日本車輌

 

6.モハ31 (七谷~狭口:1985年3月)

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 対向でやって来たのはモハ31の単行でした。この車両も装飾はなく、普段通りでした。