ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第125話 1985年蒲原 路線縮小の時(その8)

村松~加茂間の最終日もいよいよ大詰めです。名残乗車で4連も満員御礼状態でした。しかし、天気の回復は見込めず名残乗車も減って来ると、夕方には4連が3連となりました。

 

1.モハ81+モハ71+クハ10+モハ91 (七谷:1985年3月)

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 モハ81(注1)は1973年に越後交通長岡線から譲渡された車両です。越後交通は1975年に路線の大半を廃止し、貨物専業化されましたが、この車両はその前に譲渡されたものです。この車両は越後交通長岡線の前身である長岡鉄道が電化時に京浜急行の電車の車体を更新して購入したもので、当初はDC750V仕様でしたが、後にDC1500Vに昇圧され、蒲原移籍時にDC600Vに降圧されました。蒲原に移籍後はワンマン化されず、ラッシュ時の連結運用に使用されました。

(注1)モハ81の車歴

・蒲原モハ81←越後交通モハ3002←長岡モハ3002:1951年東洋工機製

 

2.モハ91+クハ10+モハ71+モハ81 (土倉~高松:1985年3月)

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 モハ91(注2)は、廃止となった山形交通三山線から1975年に移籍しました。蒲原鉄道の車両の中では一番近代的な車両に見えますが、この車両は山形交通時代に木造車を鋼体化したもので、その前身は名鉄から戦後に供出された車両です。車体長が13mと小さく、ワンマン化されずラッシュ時の連結運用に使用されました。

(注2)モハ91の車歴

・蒲原モハ91←山形交通モハ106←名鉄モ451←名岐モ451←各務原KB1:1925年日本車輌

 

3.モハ81+モハ71+クハ10+モハ91 (土倉~冬鳥越:1985年3月)

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 この写真は、加茂行きの列車を土倉駅のホーム脇から写したものです。列車は勾配を登り冬鳥越に向かいます。

 

4.モハ81+クハ10+モハ91 (高松~土倉:1985年3月)

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 夕方になり、4連は3連となりました。

 

5.モハ11+モハ41+モハ51+モハ12 (西村松~寺田:1985年3月)

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 夕方になり、寺田付近に行ってみました。この一帯は田園ではなく畑作地帯です。無造作に立ち木が生えており、荒涼とした不思議な光景です。

 

6.モハ91+クハ10+モハ71+モハ81 (寺田~西村松:1985年3月)

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 帰る頃になって少し薄日が射して来ました。しかしこの列車を見送って撤収です。

 

蒲原鉄道村松~加茂間のさよなら運転の報告は以上です。さよなら運転ではまともなカメラで撮影できたことが最大の収穫でした。

この翌日から路線は村松五泉間のわずか4.2kmに短縮されてしまいましたが、その後1999年まで残存します。残った区間は沿線風景の変化に乏しく、蒲原鉄道の魅力は半減してしまいましたが、それでも元気動車のクハ10や元西武電車の成れの果てを時々見に行きました。