ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第129話 1987年弘南 車歴の呪縛

10連休の後半に入りましたが暇なのでブログが進みます。

暇のついでに今回は厄介な弘南鉄道の話題です。何が厄介なのか申しますと「車歴」です。1987年当時の弘南鉄道は東北の中古車博物館とでも言いましょうか、とにかく趣味で集めた様なレアな車両ばかりで、その車歴を理解するのに一苦労です。そんなわけで暇な連休を活用していろいろと調べてみました。

ちなみにこの時も北海道の帰り道でした。しかし社会人となっていたので時間的な余裕がなく、大鰐線弘南線、黒石線を1日で早回りしました。

それにしても、県庁所在地でもない東北の一地方都市に3路線もの私鉄路線が存在していたことが不思議です。黒石線は赤字路線だった元国鉄黒石線を、弘南鉄道が引き継いだという訳ありではありましたが、弘南線大鰐線は生粋の地方鉄道で、特に大鰐線は戦後の開業です。何か将来に期待があったのかわかりませんが、なぜか電機メーカーの三菱電機大鰐線の建設を一括請け負ったというのも不思議な話です。

 

1.モハ2233+クハ1613 (中央弘前:1987年8月)

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 先ずは大鰐線ですが、この路線は弘前電鉄として1952年に開業した比較的新しい路線です。しかし開業時から低迷路線で、それを見越してか、初っ端から中古車オンリーでスタートし、経営の悪化から1970年に弘南鉄道に買収されたという経緯があります。そんなわけで大鰐線弘南線に比べて格が低かったのか?、弘南線で使用された車両の溜まり場になっていました。

私は1987年8月に初めて弘南鉄道大鰐線を訪問しましたが、起点の中央弘前駅の場所が分からず難儀しました。

ようやくたどり着いた中央弘前にはモハ2233+クハ1613が停車していました。当時の大鰐線は開業時の車両は既になく、元弘南線で活躍していた雑多な車両が昭和50年~55年頃に元東急3600系の導入により玉突きで転属してきた二世代目の車両が主力となっていました。それでも元旧型国電、元買収国電、元西武の初期車などなど壮絶な面々でした。

ところで、これら中古車は正に百戦錬磨の強者で、私の最大の悩みは非常に複雑奇怪な車歴でした。

 

2.モハ2233+クハ1613 (石川~鯖石:1987年8月)

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 モハ2233(注1)は元西武鉄道モハ235で、その前身は武蔵野鉄道デハ5554です。武蔵野の電車を物語る独特の厳しい表情の前面が特徴でした。1962年に弘南鉄道弘南線)が同形車を西武から3両譲受したものですが、1974年に大鰐線に転属され、モハ2233だけが残りました。

(注1)モハ2233の車歴

・弘南モハ2233←西武モハ235←武蔵野デハ5554:1928年川崎造船所

 

3.モハ3404他 (津軽大沢:1987年8月)

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 弘南鉄道は昭和50年~55年頃に元東急3600系を大量に譲受しましたが、それにまぎれて1975年に元東急3400形も2両譲受しました。

 

4.モハ3404他 (津軽大沢:1987年8月)

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 東急3400形は池上線で活躍していたもので、その前身は目蒲電鉄モハ500形です。譲受した当初は弘南線に配属され、車番も東急当時のままで運用されましたが、1984年に2両共両運化されて大鰐線に転属しました。なお両運化に際して貫通路が塞がれましたが、モハ3404は元連妻側(大鰐寄り)の貫通路と幌枠を残しました。

 

5.モハ3403+クハ二1271 (津軽大沢:1987年8月)

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 モハ3400形(注2)は大鰐線に転属後は主に日中の単行運用に充当されましたが、モハ3403はクハ二1271と2連を組むことが多かったです。この日は2連で快速運用に充当されていました。

弘南鉄道には大鰐線弘南線ともに快速が走っていました。それほど長距離でもなく、追い越しもなく、その存在の意味がよく判りませんでしたが、速達性というより利用客の少ない駅を通過するのが目的だったのでしょうか?

(注2)モハ3400形の車歴

弘南モハ3403,3404←東急デハ3403,3404←目蒲モハ503,504:1928年川崎車輌

 

6.モハ3403+クハ二1271 (津軽大沢:1987年8月)

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この 写真は、モハ3403の左側にモハ3404が写っています。両車で貫通路の塞ぎ方の違いがわかります。またこの両車の塗装色(特に下半身の色)が異なるように見えますが、これは右側のモハ3403が塗装直後で、左側のモハ3404は塗装が退色したためです。