ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第140話 1985年近鉄(北勢) 大手私鉄の扶養家族or不要家族?

昭和の晩年には、ほとんどの大手私鉄に不採算路線がぶら下がっていました。しかし不採算とは言え大切な家族でした。ところが、平成に入るとだんだんシビアになって来ました。大切な扶養家族は、いつしか不要家族になってしまいました。

今回は不要家族になる前の、大手私鉄の隠れ蓑で安泰だった頃の近鉄北勢線の話題です。

 

1.主力車両モ275、ク144他 (北大社:1985年9月)

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 近鉄北勢線は、軽便鉄道の成り上がりで国内では希少なナローゲージの路線でしたが、1977年頃に大近鉄のパワーで近代化を行い、お隣の近鉄内部・八王子線ともども魅力が半減してしまい、私にとっては、どーでもよい路線になってしまいました。そんなわけで訪問の機会がほとんどなかったわけですが、1985年秋の北陸私鉄早回りの帰りに、勢いで立ち寄りました。車両はご覧の通り、味も素っ気もない車両ばかりで、塗装は一人前に近鉄マルーンでした。

 

2.ラッシュ時増結用ク134+サ135 (北大社:1985年9月)

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 しかし、近鉄もこの路線への投資には限度があったようで、よく見ると近代化モドキの変な車両が結構いました。

例えば、写真の130形ク134+サ135ですが、見ての通りの変な車両です。この車両は北勢線近鉄に吸収される前の三重交通時代に製造された客車です。三重交通では電車が客車を牽引する運用を行っていました。時には電気機関車が客車を牽引することもあったようで、古典的というか、要するに軽便鉄道でした。それが近鉄になると、合理化の一環で客車を制御車化し、電動車と編成化しました。なお、三重交通は将来を何も考えていなかったわけではありません。この車両は車端に乗務員室を設けて、将来の制御車化に備えていました。よって、近鉄では比較的スムースに制御車化が行えましたが、ひょうきんな車両になってしまいました。

 

3.車庫入換機の元デ45 (北大社:1985年9月)

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 北勢線の車庫には、“お宝”の凸型電機が1両いました。

この車両は1979年に廃車され、当時はすでに車籍がなく、北大社車庫の入換機となっていましたが、三重交通から引き継がれた元デ45(注1)で、北勢線の生え抜き車でもあります。元は同形車のデ46と共に北勢線の客車や貨物を牽引していましたが、デ46は1959年にお隣の三重線(現あすなろう鉄道)に転籍し先に廃車になっています。

(注1)デ45の車歴:近鉄デ45←三重デ71←三交デ71←北勢20:1931年日本車輌

 

4.整備中のナローゲージの3連接車サ201(北大社:1985年9月)

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 そしてこれも貴重な元軽便3連接電車の成れの果てサハ201です。ちょうど定期検査に入場中だった様で、普段は見ることができない、運転室を撤去して中間車化した元モ201の連結面です。妻面上半の傾斜と締め切られた乗務員扉がかつての名残です。

この車両は垂直カルダンが仇となりトレーラー化されて久しかったですが、延命処置を施しながら、三岐鉄道になった現在も現役です。 

 

5.モ274+ク145(上笠田~楚原:1985年9月)

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 北大社の車庫は非常に狭く、日中の車庫内は昼寝車両がギュウギュウ詰めでまともな写真が撮れません。よって、走行列車の撮影に出ました。

この場所は北勢線の有名な撮影地ですが、天気が急変して大雨となりました。

 

6.モ274+ク145(上笠田~楚原:1985年9月)

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 天気が悪くなると、近鉄電車のマルーンはくすんでしまい、うんこ色になってしまいます。今回はスキャン画像を精一杯明るく補正してみました。

 

7.モ274+ク145(上笠田~楚原:1985年9月)

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この日は天気が悪く、走っている電車もつまらないので、全く気合が入りません。

この写真を撮影後とっとと撤収し、次の目的地である大井川鉄道に向けて移動しました。