ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第141話 1989年近鉄(北勢) 大手私鉄の扶養家族or不要家族?(その2)

前回の第140話に続き近鉄北勢線ですが、今回は1989年の元旦に訪問した時の話題です。

実はこの撮影旅行のメインは名鉄の揖斐・谷汲線にモ510の年始輸送を撮影に行くものでした。そのついでに3年振りの北勢線にも寄ったわけですが、またもや天気が最悪で全く気合が入りませんでした。

 

1.ク145、ク202他 (北大社:1989年1月)

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ところで、北勢線がなぜナローゲージで存続しているのか不思議です。やはり大近鉄の隠れ蓑だったからなのでしょうが、近鉄が見切りを付けた後も、現在は川向うの三岐鉄道に拾われました。経営状況は決して良いとは思えませんが、よく頑張っていると思います。

ナローゲージは設備が簡便であることから普及した時代がありましたが、現在となっては、異端的な存在=異端的な設備=費用がかかる世の中です。かつて安価だった軽便が、高価になってしまい、全く本末転倒です。

もし北勢線がナローでなければ、設備更新や合理化がもっとスムースに行えるはずです。しかし、いまさら改軌するほどの将来性は見込めないのでしょう。標準品ほどリーズナブルなものはない社会構図のなかで、今後北勢線(お隣のあすなろう鉄道も)はどう太刀打ちして行くのか?

 

2.ク202+サ101+サ201+モ275 (北大社:1989年1月)

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 この日は元日で、こんな天気なので北勢線の電車はガラガラでしたが、3連接車を連結した4連が走っていました。この4連は三重交通時代に製造された国内ナローゲージでは恐らく最初で最後の3連接電車の200形をトレーラー化したク202+サ101+サ201(注1)に、近鉄北勢線近代化で新製したナローゲージでは最強かつ最大級のモ275を組合わせた強烈な列車です。もともと3連接電車は三重交通時代に三重線(現近鉄湯の山線)の温泉客輸送用に製造されたものですが、三重線は近鉄に合併を機に四日市湯の山温泉間(湯の山線)を広軌に改軌したため、余剰となった3連接電車を1964年北勢線に配転したものです。

しかし、この3連接電車は駆動装置が垂直カルダンだったのでメンテに支障があり、連接車という特異性から他車並みの吊掛車に変更するのも面倒ということだったのか、1971年にあっさりトレーラー化され、1977年に貫通化して4連に組み込まれました。

(注1)3連接電車200形(ク200形、サ100形、サ200形)の車歴

近鉄ク202+サ101+サ201←近鉄モ202+サ101+モ201←三重モ4401M-1+サ4401T-1+モ4401M-2←三交モ4401M-1+サ4401T-1+モ4401M-2:1959年日本車輌

 

3.ク134、ク136 (北大社:1989年1月)

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 前回の第140話では、変な車両としてご紹介した130形(注2)ですが、1989年当時北勢線には5両の130形が在籍していました。この130形はもともと三重交通が三重線用に新製投入した全長わずか11.2mの半鋼製小型客車サ360形です。しかし、三重線にはその後全鋼製の新車サ2000形(後の140形)が増備され、余剰となったサ360形は大部分が1960年頃に北勢線に転属となり、サ130形となりました。北勢線転属後はしばらくは不随車として増結用に使用されましたが、1977年に北勢線近代化の列車編成化で、全車貫通化と2両が制御車化されました。

(注2)130形(ク130形、サ130形)の車歴

近鉄ク134←近鉄サ134←三重サ364←三交サ364:1954年帝国車輌製

近鉄ク136←近鉄サ136←三重サ366←三交サ366:1954年ナニワ工機

近鉄サ135←三重サ365←三交サ365:1954年ナニワ工機

近鉄サ137←三重サ367←三交サ367:1954年帝国車輌製

近鉄サ138←三重サ368←三交サ368:1954年帝国車輌製

なお、当時ク134+サ135とク136+サ137はラッシュ時のモ220形増結用となっていました。

 

4.車庫入換機の元デ45 (北大社:1989年1月)

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 北大社車庫の移動機である元デ45は、撮影しやすい場所に出ていました。

この機関車は12.6tの凸型機ですが、軽便車両としてはかなり大型で、車両の入換程度の仕事ではもったいない車両でした。

 

5.サ147他 (北大社:1989年1月)

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写真の サ140形(注3)も、三重交通が三重線に新製したサ2000形客車です。この車両の増備で三重線からサ360形(サ130形)が玉突きで北勢線に転属となりましたが、湯の山線改軌で今度はサ2000形も1964年~1965年に北勢線に転属となりました。サ2000形はサ360形に比べて近代的な鋼製車で、北勢線転属後はサ140形となり、サ130形同様1977年に一部制御車化され、新製されたモ270形電動車と固定編成化、またはその増結車となりました。

(注3)140形(ク140形、サ140形)の車歴

近鉄ク141~144←近鉄サ141~144←三重サ2001~2004←三交サ2001~2004:1960年日本車輌

近鉄ク145←近鉄サ145←三重サ2005←三交サ2005:1961年日本車輌

近鉄サ146←三重サ2006←三交サ2006:1961年日本車輌

近鉄サ147←三重サ2007←三交サ2007:1962年日本車輌

 

6.ク223+モ224 (北大社:1989年1月)

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 北勢線訪問のお目当ては、この北勢鉄道電化時に導入されたク220形+モ220形(注4)のコンビでした。元は全車両運のモハニ50形と称して最初に6両製造され、その後3両増備されました。この車両は1977年までは7両が北勢線に所属していましたが、モ270形導入により、3両がお隣の内部・八王子線に転籍となり、残った4両はMc+Tcの2連固定2本となりました。2連化に際し、荷物室の客室化、連結面の貫通化が図られました。

(注4)220形(ク220形、モ220形)の車歴

近鉄ク221,223←近鉄モニ221,223←三重モニ221,223←三交モニ221,223←北勢モハニ51,53:1931年日本車輌製 

近鉄モ222,224←近鉄モニ222,224←三重モニ222,224←三交モニ222,224←北勢モハニ52,54:1931年日本車輌

 

7.ク223車内 (北大社:1989年1月)

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 この車両の車体幅は2130mmです。よって車内幅は2m程しかありません。さすがに狭い車内です。

220形は典型的な昭和初期の軽便電車でした。この車両が存在していたから北勢線を訪問したようなものです。この日は元旦なので、車端妻面に国旗としめ縄が掲げられていました。