ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第148話 1984年上毛 上州の黄色い電車

突然ですが、関東で最も地味な鉄道はどこでしょうか?

私は上毛電鉄だと思います。最近はイベント活動が活発な様ですが1980年代は非常に目立たない存在でした。当時はお隣の上信電鉄に新車(6000形、250形)が入り、皆さんそちらの方に気を取られていたようで、上毛電鉄の話しをしても上信電鉄と勘違いされるほどでした。もっとも、上毛も上信も似た様な名称で、同じ様な場所(群馬県)に存在するため、ちょうどヨーロッパ人が中国も韓国も日本も区別がつかないのと同様に、区別がつかなかったのかも知れません。

ところで、1984年4月に目的が定かではありませんが、上信電鉄上毛電鉄を訪問していますので、今回は地味な方の上毛電鉄の話題を少々ご紹介します。この時はまだインスタントカメラ時代で、しばらくカメラを手入れしていなかったため、カメラの調子が悪く、画像も最悪です。よって、今回は画像修正が手におえず、手を抜いてしまいました。申し訳ありませんがご了承願います。

 

1.デハ104 (大胡:1984年4月)

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当時、上毛電鉄西武鉄道から351系を大量に導入して雑多な旧型車を淘汰したあとで、西武上毛線と化していました。辛うじて残っていた在来車は、貨物の牽引用に残されたデハ101、104の2両と、もう1両は廃車後保管されていたデハ171です。

私の上毛電鉄のイメージは、“上州の黄色い電車”でしたが、残っていた黄色い電車はこの3両だけになっていました。

 

2.デハ101貫通面 (大胡:1984年4月)

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 残った黄色い電車ですが、デハ101,104は上毛電鉄開業時に新製された生え抜きの車両です。上毛電鉄には昭和30年代に新製した比較的新しい車両もいましたが、なぜか一番古いデハ100形2両が残されました。まあ生え抜きなので、それなりに思い入れがあったのでしょうか?

 

3.デハ101非貫通面 (大胡:1984年4月)

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 デハ101には、貨物の表示板が付いていました。当時上毛電鉄には貨物輸送がまだあり、貨物牽引用としてデハ100形が残され、通常はデハ101を使用し、その予備車がデハ104でしたが、貨物の牽引以外にも朝のラッシュ時に区間運用で使用されていました。

 

4.デハ171貫通面 (大胡:1984年4月)

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デハ171(注1)は既に廃車になっていましたが、なぜか大胡車庫の側線に留置されていました。見た感じ状態は悪くなく、その気になればいつでも走れる感じでした。 

(注1)デハ171の車歴:上毛デハ171:1959年西武所沢車輌製

 

5.デハ171非貫通面 (大胡:1984年4月)

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このデハ171は1959年に新製された比較的新しい車両でした。

その後も西武所沢車輌でほぼ同型の車両が新製または車体更新で増備されましたが、すべて西武351系の導入で淘汰されました。西武351系は戦後西武が新製名義で導入した木造車の鋼体化車両ですが、半鋼製車体の吊掛車であり、さほど新しい車両ではなく、雑多な旧型車はさておき、デハ171などを排除してまで車種統一を図った意図が理解できません。

 

6.クハ34 (大胡:1984年4月)

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 クハ34は元西武クハ1411形です。こちらはデハの車体と比較して旧態然としており、デハと2連で走る姿は非常にアンバランスでした。

上毛電鉄では、元西武クモハ351形+元西武クハ1411形を、デハ230形+クハ30形として8編成も導入し、塗装も西武当時のままで使用したので、上毛電鉄は西武上毛線のごとくとなってしまいました。