ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第150話 1985年太平洋炭鉱 残念!間に合わず

今回はトロッコネタです。

1985年大学の夏休みに、高校時代の同級生と初めて北海道旅行をしました。この時は岩見沢にも高校時代の同級生がいたので、その下宿に泊まり込んで北海道を一周しました。

この時は鉄道趣味とは全く別のミーハー旅行だったのですが、やはり我慢できず、鉄道趣味など全く関係ない友人を引っ張って、太平洋炭鉱に行ってしまいました。

 

1.新税163号が牽く春採行きの運炭列車 (釧路鉱業所付近:1985年8月)

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 この時なぜ太平洋炭鉱に向かったのか、その理由は第100話でご紹介した”釧路のひとくち羊羹”こと、東芝製凸型8t機がまだ残存しているかを探るためでした。

実は、太平洋炭鉱の坑外軌道(春採電車線)はこの前年に輸送力増強のため昇圧と大型機関車の導入を行ったばかりで、まだ沿線に廃車された在来車が留置されているという情報がありました。

当時私は、第100話でご紹介したあの模型を作るために資料をかき集めていた最中で、北海道行きはまたとないチャンスでした。"百聞は一見にしかず”、現物を実測しようとスケールを片手に出向きましたが、お目当ての8t機がいません。

もう解体されてしまった・・・・残念!間に合わず。

 

2.春採坑行きの空車列車 (釧路鉱業所付近:1985年8月)

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 ”釧路のひとくち羊羹”に会えず、非常に残念でしたが落胆している間はありません。せっかくの太平洋炭鉱なので、まずは珍しいナローの運炭列車の撮影ですが、どうも天気がスッキリしません。雨が降っているわけでもありませんが、歩いているうちに露でびしょびしょになってしまいました。しかしこれが夏の釧路の標準的な天気です。

 

3.春採坑行きの空車列車 (釧路鉱業所付近:1985年8月)

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 春採電車線は、エンドレス・ループの路線で、春採坑~春採選炭場の間をひっきりなしに走っていました。途中は住宅街を走るので踏切もある複線軌道になっていましたが、一般の鉄道と違うのは、右側通行であることと、軌間がわずか610mmであることです。

 

4.釧路鉱業所全景 (釧路鉱業所付近:1985年8月)

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 春採坑は太平洋の海底から産出された石炭を地上に引き上げて、運炭列車に積み込むための拠点です。運炭列車は大きくループを描いた線路を回り、ここで石炭を積んで春採選炭場に向かいます。

春採電車線は2km程の路線ですが、運炭列車はかなり高頻度で運行されていました。
運炭列車は、3編成運転されていましたが、8t機だった頃は、更に高頻度だったとは驚きです。
1時間も居れば飽きてしまいました。

 

5.春採坑行きの空車列車 (釧路鉱業所付近:1985年8月)

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 このスマートな電気機関車は、まだ導入まもない新車です。昇圧にあわせて4両新製されましたが、16t機なので車号は161~164(注1)です。

(注1)16t機の車歴:太平洋炭鉱161~164:1984ニチユ

 

6.物置?と161号 (釧路鉱業所付近:1985年8月)

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 沿線には物置が置いてありましたが、よーく見ると小さなボギー台車を履いています。

この倉庫モドキは一応客車です。

 

7.元客車の廃車体 (釧路鉱業所付近:1985年8月)

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 この客車は素性が判りませんが、かつて春採電車線で使用された従業員輸送用の通勤車です。

これが通勤車両だったとは絶句です。どう見ても物置か囚人護送車にしか見えません。しかし、なぜこんな場所に置いてあるのか?乗り捨てられた盗難車の様です。

 

8.No.5と客車

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ちなみにこの客車も模型化しました。

もう1年早く訪れていたら、こんな現物が見れたかも知れません。・・・・