春採坑の土場では、このゲテモノを夢中になって追いかけました。
せわしなく走りまわる機関車を見ていると時間が経つのを忘れてしまいます。一緒にいた高校時代の同級生は、全く理解が出来ないようで、あきれていました。 ところで、太平洋炭鉱は国内で最後まで残った炭鉱ですが、他の炭鉱に比べて大変明るい印象でした。釧路鉱業所の構内も大変整然としており、わけのわからない重機の残骸が山積みされた炭鉱のイメージとは全く違っていました。
1.入換機64号 (春採坑:1985年8月)
この線路はいったいどこに続いているのか判りませんが、64号がどこからかやって来ました。隣の乗用車と比べると大変ノッポな機関車です。背丈は4m程あります。
2.入換機64号、62号 (春採坑:1985年8月)
プッシュ・プルの様に見えますが休憩中の一コマです。暴走しない様にパンタを下げて、手前の64号には、ちゃんと手歯止め代わりに、木片が車輪に噛まされています。
3.入換機62号 (春採坑:1985年8月)
一番古そうな62号も活発に動いていました。鉱車もかなり年季が入っていました。
4.入換機62号 (春採坑:1985年8月)
釧路鉱業所の構内には、土場以外にもあちこちに線路が伸びていました。どこかに車両の整備工場や、もしかすると車庫もあったかも知れませんが、全容はつかめませんでした。
5.斜坑のケーブルカー (春採坑:1985年8月)
土場のすぐ近くに斜坑がありました。ここから太平洋の地底深くまで坑道がつながっています。ちょうど資材列車が登ってきました。列車といってもケーブルカーです。
6.斜坑のケーブルカー (春採坑:1985年8月)
資材トロを開放したケーブルカーは、グースのような先頭車両と人車がユニットになっていました。
この日は、初めての太平洋炭鉱の訪問でしたが、観光旅行の途中であり、この様なゲテモノ趣味を持たない同行者も一緒だったので、このくらいで引き上げることにしました。
土場のノッポ機関車の存在を知ることができ大収穫でしたが、ただ残念だったのが"凸型8t機=釧路のひとくち羊羹”に会えなかったことです。ところで、実はこの日は大失敗をやらかしてしまいました。と言うのは、この日は春採坑を訪問して引き上げてしまい、選炭場の方には行きませんでした。ところが後日わかったことですが、"釧路のひとくち羊羹”は選炭場の方にまだ留置されていたそうです。あとの祭りです!!。