ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第168話 1985年下津井 瀬戸大橋建設の頃(その2)

この頃の下津井電鉄は、瀬戸大橋の開通前だったので、まだ観光化されておらず、いわゆる"ひなびた軽便鉄道”としての末期でもありました。

しかし、瀬戸大橋が開通すれば下津井~丸亀の航路は無くなってしまうでしょうし、存続のためには観光化に活路を見出すしか選択の余地がなかった様です。

 

1.モハ1001 (下津井~東下津井:1985年12月)

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 東下津井から下って来た電車は下津井の手前で大きなループを走ります。ここはループの入り口です。この手前が下の写真につながります。

 

2.モハ1001 (東下津井~下津井:1985年12月)

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天気が悪くなってきたので、陽の向きを気にせず行ってしまう電車を後追い撮影しました。この大ループでは何枚でも連写できました。 

 

3.モハ103+クハ24 (東下津井~下津井:1985年12月)

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 当時の車両は、5年前と変わらない陣容でしたが、この2連は塗装がご覧のように白装束に変わっていました。この頃国鉄の赤字路線を第3セクター化して登場した軽快気動車が好んで採用した斜めラインに影響されたのか、正直似合いません。

 

4.クハ24+モハ103 (下津井~東下津井:1985年12月)

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 この撮影場所は、5年前にもクハ24+モハ103を撮影した場所です。前回とは違い軌道脇の雑草もなく、足回りまですっきりしていました。5年前は真夏の炎天下でしたが、この時は年末の雨が降る寒い日になりました。

 

5.モハ103+クハ24 (東下津井~下津井:1985年12月)

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 下津井~東下津井間の大ループを俯瞰してみました。しかし天気が最悪です。

 

6.モハ1001 (下津井:1985年12月)

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 モハ1001はクレパス号と称して、落書きだらけの“見世物”になっていました。これも客集めの一環なのか意味不明でしたが、こうなると写真を撮りたくない電車になっていました。

 

7.モハ1001 (下津井:1985年12月)

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 この落書き電車の側面は、遠目に見るとごちゃごちゃしていて、なんだかわかりませんが、よく見ると瀬戸内海の風景画でした。