ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第174話 1985年片上 鉱山鉄道の衰退(その5)

二日目の片上鉄道も、岡山から始発に乗り、初日のリベンジで再び中山付近で混合列車を狙いました。

この日も快晴で、朝の冷え込みも半端ではなかったです。 

 

1.片上行き混合列車 (清水~中山:1985年12月)

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 この撮影場所は、長編成には好都合の見通しが良い直線の築堤です。昨日の失敗を踏まえて目を付けておいた場所です。

やって来たのは昨日同様にコンテナ+客車+回送気動車の長編成でした。しかし、ギリギリ列車に陽が射しません・・・。なかなか思うようになりません。

 

2.片上行き混合列車 (中山~清水:1985年12月)

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これは 混合列車の後追い写真です。

この日の最後尾にぶらさがる回送気動車はキハ802でした。まるでキハ802が客車とコンテナを牽引しているような写真に見えます。この頃混合列車を見ることができたのは、この片上鉄道と北海道の三菱石炭鉱業鉄道の2路線だけでした。

 

3.キハ303 (中山~清水:1985年12月)

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 この日も、神々しい写真を撮影できました。朝陽の逆光に映し出されたキハ303のシルエットは、思わず拝みたくなる光景でした。

 

4.キハ801 (中山~和気:1985年12月)

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 昭和の原風景の様な、明るい農村を行くキハ801です。できればキハ702が来てほしかった!!。

 

5.キハ801 (中山~清水:1985年12月)

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 この日も霜が降りました。天気は良いのですが、周りの山々に朝陽が遮られて、なかなか陽が射しません。温暖な瀬戸内とは思えない冷え込みでした。

 

6.キハ802 (和気:1985年12月)

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 この日は午前中の撮影を終えたあと、中山からこのキハ802で和気に戻りましたが、この後はなぜか水島臨海鉄道に向かいました。

 

7.トム531 (柵原:1985年12月)

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最後に鉱石運搬車のトム531(注1)の写真です。

トム531は柵原までの開通に向けて、1930年に鉄道省から多量の払い下げを受けたト1形のうちの1両でした。

トム500形は1950年頃に車体更新して生まれた車両ですが、その前身は大多数が明治から大正時代に製造された鉄道省の2軸貨車です。最多で70両も在籍して鉱石輸送に充当されていましたが、輸送量の減少で徐々に廃車が発生し、1985年当時は50両程になっていました。

(注1)トム531の車歴

・片上トム531←片上トム1531←片上ト30←鉄道省ト5215:明治24年新橋工場製

 

さて、1985年当時の片上鉄道は、まだ柵原鉱山が活況を呈していたので、鉱石輸送もあり、表向きは安泰そうに見えましたが、硫化鉄鉱の需要が減り1987年に鉱石輸送がトラックに切替わると、鉱山鉄道としての使命が終わり、もともと沿線の旅客需要はほとんど見込めない状況であったことから、1991年廃止となります。

この後、片上鉄道現役時代最後の訪問を1990年の年末に行いました。その時の状況は改めて報告します。