ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第176話 1987年江ノ島 まだ江ノ電らしかった頃

江ノ電といえば鎌倉のチンチン電車のイメージです。

ちょっと前までは半鋼製のボロ電車しか走っていないローカル線でしたが、現在の江ノ電はとてもローカル線とは言えない、ハイカラな電車ばかりになってしまいました。

今回は、まだ江ノ電江ノ電らしかった頃の話題です。

 

1.デハ305+デハ355、デハ501+デハ551 (峰ケ原信号所:1987年5月)

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 江ノ電には以前から鎌倉や江ノ島の観光でお世話になっていましたが、江ノ電の電車には全く興味がありませんでした。しかし社会人となったある日、会社の仲間と出向いた江ノ島で久々に見た江ノ電には結構新車が投入されており、旧型車淘汰の危機感を感じました。

当時の江ノ電は急増する観光客をさばき切れない程になっており、ひたすら新車を増備し続けていた頃で、新車の1000形シリーズも1500形まで増備され、いよいよ旧型車の置き換えが始まろうとしていた頃でした。

よって、1987年の4月~5月にかけて、江ノ電の旧型車撮影を挙行しました。

 

2.デハ501+デハ551-デハ304+デハ354 (稲村ケ崎極楽寺:1987年4月)

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 この頃の江ノ電の看板電車は新車の1000形でしたが、私にとっては500形こそが江ノ電の看板電車でした。このヨーロピアンスタイルの連接車は新製当時は斬新で、さぞかっこよかったものと思われます。しかし、その後の延命工事で自慢の曲面ガラスが平面構成となってしまい、なんともブサイクになってしまいました。しかしながら、辛うじて丸っこい顔は維持され、何とか往年の看板電車の面目を保ちました。

 

 3.デハ552+デハ502-デハ353+デハ303 (稲村ケ崎七里ヶ浜:1987年4月)

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500形(注1)は、1956年と1957年に2編成製造されました。

ちなみに300形第1編成のデハ301+デハ351も1956年の製造です。しかし、300形は中古の両運車からの改造連接車であり、車体もそのまま流用されたので 外観は旧態然としていましたが、500形は全くの新製車体で登場し、両引きドアの採用や車内も簡易なボックスシートを設置して、ボロ電車のイメージが強かった江ノ電に新風を吹き込みました。なお、500形は2編成とも台車と電気品は廃車などから流用した吊掛車で、登場時は他車同様にポール電車でした。ポール電車だったので、前面中央の窓が開閉式となっていましたが、ポールをやめてからは、固定窓となりました。ところが、運転室の換気の問題や窓枠の腐食により前面の改修が避けられなかったそうです。

 

4.デハ501+デハ551-デハ304+デハ354 (極楽寺~長谷:1987年4月)

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 (注1)500形の車歴

江ノ電デハ501+デハ551:1956年東洋工機製

江ノ電デハ502+デハ552:1957年東急車輛

500形は第1編成と第2編成の製造メーカーが異なり、前照灯や尾灯の形状が異なり、見方によっては別形式の電車の様に見えましたが、延命工事により2編成の外観は差異がなくなりました。

 

5.デハ501+デハ551-デハ304+デハ354 (鎌倉高校前:1987年4月)

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 江ノ電の沿線はさすがに観光地だけあって風光明媚でした。この鎌倉高校前付近は相模湾に面した景勝地ですが、海沿いを走る電車にとっては塩害が悩ましかったようです。

 

6.デハ552+デハ502-デハ353+デハ303 (稲村ケ崎七里ヶ浜:1987年5月)

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 この頃江ノ電の列車はほとんどが2連接の2連運転となっていました。特に休日は輸送力の限界に達するほどの混雑ぶりで、保有車両は総動員状態でしたが、列車有効長の関係でこれ以上の連結が困難でした。もともと路面電車の規格なので、車両の大型化も図れず、最大のネックは単線で、これも複線化が困難です。

 

7.デハ552+デハ502-デハ353+デハ303 (江ノ島:1987年5月)

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 2連の組合せは運用で決められていたと思いますが、毎回変わる凸凹編成が楽しみでした。しかし、500形同士の2連の撮影は叶いませんでした。