ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第177話 1987年江ノ島 まだ江ノ電らしかった頃(その2)

さて、江ノ電がボロ電車である由来を物語るのが300形です。ある意味、この300形が江ノ電チンチン電車を印象付けたと言っても過言ではないと思います。

300形は雑多な単行用の両運車を輸送力強化のため2連接化したシリーズです。当初は単に2連化する計画もあり、いろいろ試された結果、曲線が多いこの路線ではボギー車の連結運転は曲線部の車端偏倚が大きく、連結部が危険であることと、乗り心地も悪いことから、300形以降の新車は連接車が決定付られました。

 

1.デハ351+デハ301-デハ551+デハ501 (鵠沼~柳小路:1987年4月)

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 300形は全部で6編成在籍しましたが、その内訳は自社発注の両運車からの改造、中古の両運車からの改造、車体新造車と言った内容で、形態も様々でした。

なお、300形は第4編成まで連接車となった2両が同じ車号で竣工しましたが、その後運輸省の通達により鎌倉寄りの車両を350番代に改番しました。

 

2.デハ351+デハ301-デハ551+デハ501 (稲村ケ崎七里ヶ浜:1987年5月)

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 300形第1編成であるデハ301+デハ351(注1)は元々都電で、1953年に譲受したものを1956年に東洋工機で連接車化したものです。前面のバンパー部分の出っ張りがいかにも路面電車です。都電と言えばまさにチンチン電車ですが、江ノ電も当初は路面電車だったようなもので違和感はありません。なお、連接化にあたり車体は流用されていますがかなり改造されています。

 

3.デハ351+デハ301-デハ551+デハ501 (江ノ島:1987年5月)

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 (注1)300形第1編成の車歴

江ノ島デハ301←江ノ島デハ113Ⅱ←都電154←王子205:1927年田中車輌製

江ノ島デハ351←江ノ島デハ301←江ノ島デハ114Ⅱ←都電155←王子206:1927年田中車輌製 

※デハ301+デハ351の台車は都電261,262(←西武41,42:1924年汽車会社製)のものが流用されました。

 

4.併用軌道区間を行くデハ302+デハ352-デハ306+デハ356 (腰越:1987年4月)

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300形第2編成のデハ302+デハ352(注2)、第3編成の デハ303+デハ353(注3)は共に自社発注の両運車デハ100形を1957年に東洋工機で連接車化したものです。竣工もほとんど一緒で、同時期にデハ500形第2編成デハ502+デハ552も竣工しました。

 

5.デハ303+デハ353-デハ502+デハ552 (江ノ島~腰越:1987年4月)

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(注2)デハ300形第2編成の車歴

江ノ電デハ302←江ノ電デハ101:1929年雨宮製作所製

江ノ電デハ352←江ノ電デハ302←江ノ電デハ102:1929年雨宮製作所製

(注3)デハ300形第3編成の車歴

江ノ電デハ303←江ノ電デハ103:1929年雨宮製作所製

江ノ電デハ353←江ノ電デハ303←江ノ電デハ104:1929年雨宮製作所製

300形第2,3編成は、種車の都合で車体のオーバーハングが大きく、車輪も小さいので頭でっかちの風貌となり、いかにも「江ノ電」でした。曲線部では車体が大きく偏寄するので脱線しそうに見えました。また、この電車も当初はポール電車だったので、ポールの操作性を考慮して前面中央窓を大きくしたのが特徴で、この窓割は300形第5編成まで踏襲されました。

 

6.デハ302+デハ352-デハ306+デハ356 (江ノ島~腰越:1987年4月)

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 300形第2編成と第3編成は種車が同型車で改造時期も同じだったので、竣工後の外観もほとんど同じでした。 300形第1編成とは種車が異なるので同形式であることにやや無理がありますが、素人目には全て同じ車両に見えるようで、運用上も全く問題なく連結運転されていました。

それにしても、連接車2連の併用軌道走行は異様と言うか迫力があります。この併用軌道区間がある以上、江ノ電の高速化、大量輸送化は無理な様です。