ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第184話 1986年立山砂防 工事現場に立ち入るべからず!!(その4)

この日、想定外に列車本数が多かった理由は、落石災害の復旧作業のためでした。

それは桑谷連絡所に出向いた際に情報を得ました。桑谷連絡所には一番列車も足止めをくらっており、多数の列車が溜まっていました。

 

1.滝の谷トンネル (中小屋~桑谷:1986年10月)

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 落石は、桑谷連絡所から先の桑谷トンネルを出たあたりで、夜間に発生したようで、一番列車が立ち往生して桑谷連絡所に戻ったとのことです。

 

2.災害復旧列車 (桑谷~中小屋:1986年10月)

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 よって、災害復旧の列車が臨時で走り、多くの写真が撮れたわけです。

 

3.運行待機見合わせ中の列車 (桑谷:1986年10月)

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 桑谷連絡所には水谷行きの列車が足止めをくらい、運転を見合わせていましたが、それほど大きな災害でもなさそうで、さほど緊迫感はなく、皆さん復旧まで暫しの待機でした。

 

4.桑谷トンネルから見た運行待機列車 (桑谷:1986年10月)

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桑谷連絡所は、連絡所以外にも近隣の河川工事の基地だったので、側線もあり待機列車の留置スペースも問題ありませんでした。 

 

5.運行待機列車 (桑谷:1986年10月)

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6.災害復旧列車 (桑谷~中小屋:1986年10月)

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しばらくすると、千寿ケ原から復旧資材と応援要員を乗せた列車が来ました。 

 

7.災害復旧列車 (桑谷~中小屋:1986年10月)

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 まさか災害復旧列車を、滝の谷トンネルで撮影するとは思いませんでした。

この後は、復旧作業が終わるまで列車は走らないようなので下山しました。しかし、ここは危険な場所であることをよく理解できました。この後も立山訪問を続けましたが、毎回何かが変わっていました。自然相手の砂防ダム建設がいかに「終わりなき戦い」であることか、皆さんにも周知頂ければと思います。

そして、「工事現場に立ち入るべからず!!」です。