この日、想定外に列車本数が多かった理由は、落石災害の復旧作業のためでした。
それは桑谷連絡所に出向いた際に情報を得ました。桑谷連絡所には一番列車も足止めをくらっており、多数の列車が溜まっていました。
1.滝の谷トンネル (中小屋~桑谷:1986年10月)
落石は、桑谷連絡所から先の桑谷トンネルを出たあたりで、夜間に発生したようで、一番列車が立ち往生して桑谷連絡所に戻ったとのことです。
2.災害復旧列車 (桑谷~中小屋:1986年10月)
よって、災害復旧の列車が臨時で走り、多くの写真が撮れたわけです。
3.運行待機見合わせ中の列車 (桑谷:1986年10月)
桑谷連絡所には水谷行きの列車が足止めをくらい、運転を見合わせていましたが、それほど大きな災害でもなさそうで、さほど緊迫感はなく、皆さん復旧まで暫しの待機でした。
4.桑谷トンネルから見た運行待機列車 (桑谷:1986年10月)
桑谷連絡所は、連絡所以外にも近隣の河川工事の基地だったので、側線もあり待機列車の留置スペースも問題ありませんでした。
5.運行待機列車 (桑谷:1986年10月)
6.災害復旧列車 (桑谷~中小屋:1986年10月)
しばらくすると、千寿ケ原から復旧資材と応援要員を乗せた列車が来ました。
7.災害復旧列車 (桑谷~中小屋:1986年10月)
まさか災害復旧列車を、滝の谷トンネルで撮影するとは思いませんでした。
この後は、復旧作業が終わるまで列車は走らないようなので下山しました。しかし、ここは危険な場所であることをよく理解できました。この後も立山訪問を続けましたが、毎回何かが変わっていました。自然相手の砂防ダム建設がいかに「終わりなき戦い」であることか、皆さんにも周知頂ければと思います。
そして、「工事現場に立ち入るべからず!!」です。